白河踊り考、その1
皆さん、ご無沙汰しております。
消息不明を伝えられております生活文化担当学芸員です。
「事多い」年で、ブログ書き込みが疎かになってります。

久しぶりに話題をひとつ・・・・

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戊辰戦争から140年の年が暮れようとしています。

明治元年から数えて140年の年の企画展第二段「明治維新と萩」展に、多数のご来場大変ありがとうございます。

その企画展において展示している錦絵です。
戊辰戦争にかかわった「萩の人」が紹介されています。

中段左の人物が、今回なぜか生活文化担当が話題にしようとしている人物、長州藩士「楢崎頼三」です。

楢崎は、新式のライフル銃を装備した長州藩兵の中隊(100人規模か)を率いて戊辰戦争に従軍します。





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楢崎は新政府軍の中にあって「智勇万人にすぐれ、種々計略をもって諸隊をいさます、古今の勇将なり」と記されています。

今回の展示には、楢崎家文書も展示されています。
その楢崎家文書によると、楢崎は戊辰戦争中、武州、総州、野州と転戦し、奥州入り口の要衝である白河城攻防戦に参戦しています。

白河城攻防戦は、戊辰戦争の激戦の一つで、薩摩藩、大垣藩、忍藩、長州藩の兵士からなる新政府軍700余名が、奥羽越列藩同盟軍2000余名と交戦しました。
この戦いが、戊辰戦争の行方を決定付けたとも言われています。



楢崎家文書によると、武州での緒戦から会津での終戦までに、楢崎の部隊においては、戦死・治療中死20名、負傷42名を数えています。
100名規模の部隊ということですから、死傷は三分の二!!
楢崎自身も、白河城攻防戦中最大の激戦であった1868年5月1日の戦闘で、右腕に銃弾を受け負傷しています。

時代の転換にあたり、結果として勝者・敗者となりましたが、多くの若者が命を落とし、心身に傷を負ったということです。


話題転じ「白河踊り」です。
山口県には「白河踊り」と呼ばれる盆踊りが、各地に伝えられています。
山口県で、なぜ「白河踊り」なのか・・・・  ということについては次回また・・・ (つづく、清水)
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by hagihaku | 2008-12-19 18:24 | くらしのやかたより
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