城下町のあゆみ、その2
城下町萩の基礎は、どのように形作られたのか?
その2です。
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寛文10年(1670)前後の城下町絵図です。
おとなしい色使いというか、色がほとんど無い絵図です。
城内と城下を隔てる外堀が描かれ、武家屋敷地の広さや主の名前、寺院名など詳しくが書き込まれています。
参勤交代に使ったであろう街路、いわゆる御成り道が、朱線で記されています。
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宝永6年(1709)前後の城下町絵図です。
前の絵図と比べ、城下の構成で、明らかに異なる点があります。
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三角州西部(絵図の中央左)から三角州中央を経て、三角州北東部(絵図右上)へとつながる水色のラインが、人工の溝川である「新堀川」です。
この新堀川が築かれたことにより、三角州中央辺りの低湿地の排水が進み、土地利用が拡大していったと考えられます。
新堀川に近い一帯では、標高が2メートルに満たない所が広がり、大雨で出水した時には遊水池となりました。
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ウォールケースの手前には、絵図資料を説明するキャプションを立てています。
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注目していただきたい所を示した地図を添えています。
このキャプションでは、新堀川(青い線)と三角州北東部の低湿地・沼地に触れています。
因みに、17世紀終わり頃に築かれた新堀川は、現在も!、暗渠になることなく存在しています。
人工の溝川は、水と戦い共生してきた、三角州上の城下町の歴史を伝える、生きた資料です。
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萩の城下町絵図としては、県内最大級の絵図です。
(とうことは、国内最大級!世界最大級!地球最大級 !  ・・・ 止めとこっ ・・・ )
1740年代、江戸時代中ごろの制作と考えられるものです。
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幅も高さも、約3.5メートルあります。
残念ながら、全てをご覧いただくことができません。
30年ほど前に、一度だけ、ほんの少しの期間展示したことがあるそうです。
これからも、そうは展示することができませんので、必見! です。

「城下町のあゆみ」は、つづく ・・・      (清水)
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by hagihaku | 2009-12-05 16:47 | くらしのやかたより
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