城下町のひみつ、その2
明治時代以降、萩三角州の低湿地を開発して近代化が図られたことにより、元からの「まち」が壊されなかったことを紹介するコーナーです。
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低湿地造成に使われたシダ類もですが、こちらの展示資料もぜひご覧頂きたいものの一つです。。
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このコーナーでは、触れて発見できる体験型展示資料「萩学なんでもBOX」の一部を展示しています。
「萩学なんでもBOX」は、萩にかかわる色々なテーマに沿って、触れることができる資料を小型の箱に収めた萩博物館オリジナルの展示物、兼、体験学習キットです。
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萩東中学校と萩西中学校の提案をもとに制作した、「地図を重ねて再発見」BOXの資料です。
それぞれ違った目的で作成された地図を重ねることで、別のものが見えてくるというものです。
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三角州の微妙な地形を強調した地形模型です。
三角州中央辺りに低湿地が広がっていること、三角州の北側に砂丘状に比較的標高が高い一帯があることを、触れて発見することができます。
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微妙な地形を示す等高線図を重ねてみました。
低湿地地帯は標高2メートルに満たないこと、そして、三角州で最も標高が高い所(指月山を除く)でも標高10メートルに満たないこと、等が確認できます。
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今度は、江戸時代の土地利用について示した地図を重ねてみました。
茶色に表現された部分が町人地、藤色が寺社、アイボリーが武家屋敷地、そして緑色が農業地、及び農業者住居です。
町人地や寺社が三角州の北部に在ること、また農業地が三角州中央あたりに在ること等が確認できます。
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2枚の地図を重ねてみましょう。
何か見えてきませんか?
実は、比較的標高の高い所に町人地と寺社が集中し、それに次ぐ標高の所に重臣の住まいした武家屋敷地があり、最も標高の低い一帯が農業地や農業者居住地になっていることなどが見えてきませんか。
つまり・・・三角州の微妙な地形を活かした土地利用がなされてきたことを、あらためて発見できるのです。
さて、このような萩三角州が、明治時代以降、どのように変わっていったかについては、以下です。
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長くなって恐縮です。
三角州の微妙な地形を、等高線と標高による色分けで立体的に表現した鳥瞰図です。
下に展示している地形模型と見比べながらご覧下さい。
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その鳥瞰図上に、明治時代以降、昭和期までに建設された公共・公益施設を赤い色で、近代化の象徴である鉄道と鉄道駅とを青色で表現してみました。
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いかがでしょう。
公共・公益施設の敷地まで表現できれば、もっと、赤色部分は広くなったと思います。
三角州内の標高の低い一帯に、赤色で表現された施設の多くが集まっていることが見えてきませんか?
元からの「まち」を壊さない近代化が図られたことが、これからも見えてきます。
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1960年、三角州の標高の低い一帯を撮影した航空写真です。
開発が進んではいますが、この当時、まだまだハス田や水田が広がっています。
この後しばらくして、市役所や市民館、大型商業施設や国道バイパスなどが、この一帯に建設されます。
(この角川政治さん撮影の航空写真も、様々な情報を引き出すことができる、実に面白い資料です)

お付き合いいただきありがとうございました。
(申し訳ありません、長過ぎますね)
しかし、まだまだ「城下町のひみつ」は ・・・ つづきます。    (清水)
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by hagihaku | 2009-12-24 19:24 | くらしのやかたより
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