城下町のひみつ、その6
前回までは、現在でも江戸時代の城下町絵図が地図として使える萩の「まち」について、それを可能にした理由の幾つかをご紹介してきました。
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続いては、変わらない「まち」を、「天然色」古写真でご覧いただこうと思います。
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1957年から58年にかけて撮影された萩高等学校と旧萩高等女学校(後に萩南高校、萩高校)の写真です。
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旧城内(三の丸)の堀内地区に在る萩高等学校です。
旧制萩中学校として創設されました。
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萩高校の敷地は、江戸時代の重臣の屋敷2軒分です。
隣の重臣の屋敷地(一軒!)に野球場とテニスコートが在ります。
この当時は、学校の周辺はほとんど夏みかん畑でした。
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江向地区の、江向八丁の通りに面した旧萩高等女学校です。
藩の南園御殿の敷地に創設されました。
学制改革により、萩女子高等学校、萩南高等学校となり、昭和25年(1950)に萩北高等学校と合併して県立萩高等学校南校舎となりました。
御殿敷地を画していた土塀が目をひきます。
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この当時、学校敷地の中には、御殿の施設の一部が残っていました。
学校は橋本川にも接しており、歴史的な環境にも、自然環境にも恵まれた学び舎でした。
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1972年撮影の萩の「まち」の写真です。
NPO萩まちじゅう博物館学芸サポート・古写真班の皆さんが、日々、取り組んで下さった古写真デジタルデータ化の成果の一部です。
現在の萩の「まち」と比較すると、変わったところ、変わっていないところが良く見えてきます。
変わって欲しくないものが見えてきます。

ということで、城下町のひみつは、もう少し続く ・・・    (清水)
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by hagihaku | 2010-01-07 19:23 | くらしのやかたより
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