クジラに生かされてきた? 萩・北浦地域の人々
12時の気温が28.8℃! 朝から暖かい、というよりも暑い萩です。
萩博物館内の夏みかんのつぼみは随分大きくなっていますが、まだ花開きません。
開花宣言は明日くらいでしょうか。
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「萩・北浦のクジラ文化」展ご紹介の続き、「クジラに生かされて」のコーナーです。
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古式捕鯨の拠点・長門市、近代捕鯨の基地・下関市といったイメージがある中、なぜ、萩市でクジラをテーマにした企画展を開催するのですかというお尋ねを受けます。
それは、江戸時代から近代・現代に至るまで、萩とクジラとの間に、長門市や下関市とクジラとの関係にも勝る深~い関わりがあるからなのです。
萩博物館は、萩・北浦地域の拠点博物館です(気持ち・心意気としては)。
地域とクジラとの関わりを、広く、様々な方面から一度おさらいしておく必要を感じていたことから、資料の掘起しを進めていました。
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萩・北浦地域には、昔から多くのクジラが寄り来ており、人々はその恵みを享受しつつ暮らしてきました。
江戸時代、長州藩では、その寄り来たクジラを捕る捕鯨を奨励・支援してきました。
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萩城外堀の発掘調査で出土したクジラの骨です。
江戸時代の地層からの出土で、骨には加工痕があります。
加工して何を得たのか! 実は、藩が捕鯨を支援した理由の一つは、これだったのです。
クジラが捕れることで藩にもたらされる莫大な運上銀(税金)の他に!
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江戸時代の農業書『除蝗録』の一頁です。
稲を食害する害虫の駆除方法についての記述に添えられた挿絵です。
図の上方では、水田にヒシャクで何やら撒いています。
図の下方では、稲の上を箒のようなもので払っています。
この撒いているものが、クジラから採れる鯨油なのです。
鯨油の油膜が張った水を稲に掛けたり、稲を揺すって虫を落として溺死させるという害虫駆除方法は、17世紀の終わり頃に発見・開発されました。
農薬が開発される以前は、他に有効な害虫駆除方はありませんでした。
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下関市豊北町で、1950年頃まで用いられた油を入れる竹筒です。
ウンカなどの害虫駆除のため、油を水田に撒く際に用いられたものです。
江戸時代から近代・現代に至るまで、鯨油は害虫駆除に無くてはならぬものでした。
害虫を駆除することが米の生産を維持することにつながり、そのことで、私たちに連なる人たちは命を保つことができました。
私たちは、まさにクジラによって生かされてきたのです。
長州藩においては、クジラが不漁の年などには、わざわざ他国産の鯨油を買い求めて藩内領地に配ったとされます。
クジラは、36万9千石(米の生産高で表現!)を支え維持してきたのです。
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現在も執り行われている「虫送り」の民俗です。
「サバー送り」とか「サネモリ送り」とも呼ばれます。
かつて人々は、虫の害を、稲に災いをなす御霊などの仕業と考えました。
その御霊などを藁人形や麦藁船に込めて、自分達の暮らす世界の外に送るのが「虫送り」です。
この藁人形は、長門市飯山八幡宮を出発し、延々と村境から村境へと送られ、最終的には旧豊浦町の犬鳴海岸から海に流されるとされます。
害虫防除を共同で祈願する興味深い民俗が、萩・北浦地域には今も息づいています。
ということで、災いが込められていない藁人形も、展示の中でご紹介しています。
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萩市椿地区に伝えられてきた「虫送り」行事です。
田植え後に行われる行事で「地神祭り」とも呼ばれます。
地神僧による祈祷の後、稲株や供物を麦藁で作った「虫送丸」に収めて川に流します。
農薬が使われる以前、せいぜい鯨油による害虫駆除しかできなかった頃から伝えられる民俗です。
これも、災いなすものが込められていない麦藁船を展示しています。

長くなりました。
次回へ続きます。

萩博物館企画展「萩・北浦のクジラ文化」展、好評(だと良いですが・・・)開催中です。  (清水)
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by hagihaku | 2011-05-09 15:18 | くらしのやかたより
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