命をいただき、生かされてきた人々
5月15日、さわやかな朝です。
夏みかんの花の良い香りが漂っています。
b0076096_8343362.jpg

萩博物館企画展「萩・北浦のクジラ文化」、展示のご紹介の続きです。
b0076096_8414143.jpg

一般的に西海捕鯨漁場と呼ばれる海域と、捕鯨の拠点を示した図です。
萩・北浦地域は、その北部の一角に位置しま。
北浦地域とは、山口県の日本海・響灘沿岸地域をさす呼び名です。
この西海捕鯨漁場は、クジラの回游路にあたり、昔から多くの捕鯨組織が寄り来るクジラを捕獲してきました。
江戸時代の一時期、73組の捕鯨組織が活動していたという研究もあります。
b0076096_847268.jpg

萩・北浦地域に寄り来ていたクジラです。
セミ、ザトウ、ノソ、ナガス、アオサギなどと呼ばれるクジラが回游してきました。
b0076096_851182.jpg

当初は、何らかの理由で寄り着いたクジラを利用していたようです。
村境に流れ寄ったクジラの処理で、しばしば紛争が起こった記録が残っています。
寄り来るクジラを、積極的に捕獲するようになったのが何時のことなのかは、実は良く分かっていません。
江戸時代の初め頃には、銛(モリ)や剣などで突いて捕る捕鯨法はあったようです。
やがて17世紀の終わり頃、クジラの進路に網を張り、追い立てたクジラが網に絡んで動きが鈍くなったところを突き捕る捕鯨法が開発されました。
b0076096_9224755.jpg

長門市仙崎(瀬戸崎)の八坂神社に奉納された江戸時代の捕鯨絵馬GPです。
網掛け突き捕り捕鯨の様子を伝える貴重な資料です。
クジラを追い立てる勢子船、進路に網を張る網船、陸上の見張り、海上の見物衆などが、鮮やかに描きこまれています。
b0076096_9273427.jpg

クジラの進路に張る網の材料には、カワカミソと呼ばれる阿武川上流の川上地域に産する苧(アサ・カラムシ)が用いられました。
カワカミソは大変に丈夫な繊維で、藁縄網に代わりこれを用いるようになってから捕獲効率が格段に良くなったとされます。
b0076096_9355458.jpg

カワカミソの細い縄を幹縄とした鱶(フカ)延縄です。
萩市玉江浦や鶴江浦において用いられてきた鱶(フカ=サメ)を漁獲するための漁具です。
本題とは少し反れますが、玉江浦や鶴江浦の漁業者は、江戸時代から鱶延縄漁具を携えて、朝鮮半島近海のいわゆる韓海に出漁していました。
カワカミソは、漁具やロープの材料として用いられていましたし、衣類の材料としても用いられました。
b0076096_1022432.jpg

クジラを捕獲・加工する道具も、捕鯨拠点であった長門市通、旧油谷町川尻でお借りして展示しています。
質・量的には、長門市通のくじら資料館の国指定資料が圧倒的です。
一度ご覧になって下さい。
b0076096_1015578.jpg

旧油谷町川尻でお借りした捕鯨用具です。
川尻では、明治41年(1908)まで、寄り来るクジラを捕獲する伝統的な捕鯨組織が活動していました。
b0076096_1322441.jpg

そして、萩市見島に伝えられた捕鯨用具です。
今回、企画展準備の中で見出された資料です。
江戸時代終わり頃の見島全図には、「鯨固屋(小屋)」の書き込みがあります。
その近くでは、クジラを供養する鯨塚の確認もできました。
これら資料は、クジラの恵をいただき、生かされてきた萩・北浦地域の人々の、生きていくための葛藤を伝えるものです。  
・・・ということで、続く。   (清水)
[PR]
by hagihaku | 2011-05-15 13:15 | くらしのやかたより
<< 殿様も吉田松陰も食べていたクジラ 勝手に・・・夏みかんの花の開花... >>