殿様も吉田松陰も食べていたクジラ
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クジラに生かされてきた萩・北浦地域の人々です。
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地域の人とクジラとの関連を略年表にまとめてみました。
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皆さんが良くご存知の人物もクジラの恵をいただいていました。
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吉田松陰と兄の杉民治との往復書簡です。
野山獄に入獄していた松陰に、兄が差し入れとともに手紙を送り、その手紙の行間に松陰が返書をしたためています。
差し入れの「鮮肉(=鯨肉)」に対して、「大変有難い」、「食べ尽くして皿しか残らなかった」と書かれています。
この他にも、「鯨肉」の文字が認められる書簡が2通残されています。
いずれも、鯨肉の差し入れへの返礼がしたためられています。
つまり吉田松陰は、獄中で!、少なくとも3度、鯨肉を食していたのです。
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殿様がクジラを食していたことを証す資料です。
代官所の役人の覚えで、クジラが捕れるたびに、「赤身」・「海老尾」・「手平」肉を、「いつものように!」、山口の「五十鈴御殿厨房」へ、「殿様お上がり料」として届けるということが書かれています。
山口の御殿とありますから、山口に政庁が移転した文久3年(1863)以降の文書です。
鯨肉の上納を受ける殿様は、13代藩主の毛利敬親公です。
どのように調理されたのか興味を覚えますが、残念ながら記録されていません。
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クジラ捕獲を代官所に報せる文書です。
クジラが捕れるということは、藩としても大変な関心事でした。
そのためクジラが捕れるたびに、代官所に、いつ、どこで、どのくらいの大きさの、何という種類のクジラが捕獲されたかを「御注進(=報告)」することになっていたようです。
11尋(約17メートル)のナガスクジラが捕獲されたが水没し、2時間かけて引き上げて、2時間かけて波止まで漕ぎ返ったことを先ずもってお報せします、というような内容の文書が、多数伝えられています。

現在、高杉晋作資料室では、松下村塾塾生の吉田稔麿に関する資料のテーマ展示を行っています。
その中で、吉田稔麿がクジラを食したことを示す資料を展示しています。
村田清風が、鯨肉と蒲鉾を、招聘した会津藩の槍術家に贈ったことを示す資料も伝わっています。
丹念に資料にあたれば、まだまだクジラを食していた記述を見出すことができるかもしれません。

・・・ということで、続く。  (清水)
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by hagihaku | 2011-05-16 09:47 | くらしのやかたより
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