萩博物館「コマーシャル100年 in 萩」展で萩再発見の17
3月19日(火)、今年度も残すところ10日余となりました。

お蔭様で、萩博物館の今年度の年間入館者数は120,000人を超えることになりそうです。
皆様のご支援に感謝申し上げます。

この数字は、人口5万人余の地方都市の博物館としては、大健闘と言えるのではないかと思います。
ただ、来館された方々や利用された方々の満足度を高めるということや、博物館として実力をつけることに関しては、まだまだ検討・改善の余地ありです。

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萩博物館(当時は萩市郷土博物館)蔵の城下町絵図を用いたキャンペーンポスターです。

萩の「まち」では、現在も、江戸時代の城下町絵図を地図として用いることができます。
それは、江戸時代の城下町が、大きく壊されることなく今に伝えられているということです。
その理由については、以前、企画展「城下町のひみつ」で触れました。

 ※乞うご参照、萩博ブログ
  「城下町のあゆみ」1~5 (2009.12.3 ~ 2009.12.21)
  「城下町のひみつ」1~7 (2009.12.22 ~ 2010.1.23)
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萩の「まち」では、明治維新から半世紀を経た1910年代、大正年間から、歴史上の人物やその旧跡、城下町起源の史跡などが一層注目されるようになりました。
文化財としての指定や保全・活用の活動が活発になり、自ら誇りとすべきもの、他所にない「まち」の魅力が意識されるようになりました

 1916年(大正5)  阿武郡教育会に史跡保存会創設、「維新前後萩地方史跡地図」発行
 1922年(大正11) 松下村塾や吉田松陰旧宅が国指定の史跡に指定
 1923年(大正12) 長門峡が国の名勝に指定
 1924年(大正13) 反射炉が国指定史跡に、また明神池が国の天然記念物に指定
 1926年(大正15) 笠山のタチバナ自生地が国の天然記念物に指定
 1928年(昭和3)  見島の見島ウシ産地、カメ生息地が国の天然記念物に指定
 1929年(昭和4)  藩校明倫館の水練池、有備館が国の史跡に指定
 1932年(昭和7)  木戸孝允旧宅と伊藤博文旧宅が国の史跡に指定
 1936年(昭和11) 旧萩藩御船倉が国の史跡に指定   etc. etc.
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萩市は1932年(昭和7)に市制を施行します。
その過程では、史跡名勝に富むことを活かした遊覧の都市建設=観光立市が検討されます。
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1935年(昭和10)には、萩市土原グラウンド(現在の萩東中学校地)において、萩実業会主催の「萩史蹟産業大博覧会」が開催されます。
この博覧会は、萩の史跡を紹介し、それらを保全活用しつつ萩市経済を活性化させることを目的としたもので、大成功をおさめました。
会場には、日産コンツェルンの日産館をはじめ、産業本館・史蹟観光館・朝鮮館などのパビリオンが設置され、入場者の関心をひきました。
また、博覧会に併せて、新築された明倫小学校で防長勤王資料展示会が開催されるなど、種々の行事で市内は賑わいました。
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1970年代、ディスカバージャパンのキャンペーンが推し進められる中で、萩は、古き良き伝統を伝える「まち」として全国的に注目されます。
そのキャンペーンより遡ること50年前、萩の「まち」の人たちは、自らの誇りを大切に思い、それらに磨きをかける活動を始めていました。

企画展「城下町のひみつ」では、江戸時代の城下町が大きく壊されなかった理由として、明治維新の後、萩三角州の低湿地が開発されたことや、武家屋敷地における夏ミカン栽培が続いたこと、また三角州の外へ鉄道敷設されたこと、震災・火災・戦災などの大きな災害を被らなかったことなどを紹介しました。

もう一つ、大きな要素としてあげられるのが、萩の「まち」に誇りと愛着を持つ多くの人たちの存在なのかと思います。
だからこその、古き良き伝統を伝える「まち」なのです。

・・・ つづく ・・・      (清水)
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by hagihaku | 2013-03-19 13:08 | くらしのやかたより
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