海を拓いた萩の人々、5 ~ 北海道の海を拓いた萩の船、その2 ~
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明治中ごろの撮影と考えられる玉江浦船溜まりの写真です。
手前の比較的小型の漁船の背景に、大型の漁船が認められます。

函館博物館所蔵の目録資料には、明治23年(1890)12月の年月日が記されています。
他の資料によると、函館水産陳列場は、函館の「博物場」の一角に、水産物の標本や漁業関係資料を展示することを目的に新設されることになり、明治23年4月に竣工しています。

これに記された「改良漁船雛形」が、現在保管されている山口県鱶延縄漁船雛形だとすれば、この雛形が制作年されて函館にもたらされたのは明治23年以前ということになります
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明治28年(1895)、京都において開催された第4回内国勧業博覧会の会場図です。

市立函館博物館学芸員のHさんからの連絡を受けて小職は、原田儀三郎が出展した可能性のある内国勧業博覧会や水産博覧会関係の記録を、逐一確認するということに着手しました。

8か月後・・・『第三回内国勧業博覧会出品目録』をようやく確認したところ、第4部水産の項に、「改良漁船雛形」を、「阿武郡山田村 原田儀三郎」が出品した旨の記載を見出したのです!
鶴江浦とともに鱶延縄漁業の先進地としてご紹介した玉江浦は、この山田村に含まれます。

第3回内国勧業博覧会は、明治23年(1890)4月1日から7月31日まで、上野公園において開催された博覧会で、期間中100万人を超える人が観覧に訪れています。
またこの回から、本館の他に特に水産館が設けられ、日本国が水産業の振興に力を注いでいたことが知られています。
函館水産陳列場の新設と時期的には合致します。
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ちなみに、この「改良漁船雛形」は、博覧会において「二等進歩賞」を受賞していたことも判明しました。
「褒状薦告文」には、「船体ノ局部ニ改良ヲ加へ波濤ノ進入ヲ防キ進行ノ速度ヲ増ス進歩甚タ嘉賞ス可シ」とありました。

また、『第三回内国勧業博覧会審査報告摘要』には、「数十年中国瀬戸内ノ漁者ハ近海漁業ノ漸ク衰頽セルヲ以テ馬関ヲ経玄海ヲ踰ヘ對馬朝鮮ニ遠航シテ鱶釣等ニ従事シ従ヒテ漁船改良ノ必要ヲ感シ漸次其構造ヲ堅牢ニシテ空気室ヲ設ケ風波ノ際転覆の患を防クニ至レリ今回出品ノ山口県改良延縄漁船即チ是ナリ」とあり、山口県改良漁船の優れた点が紹介されていました。

そして、その他の博覧会関係資料には、出品物が様々な機関や個人に求められ、各地にもたらされて紹介され、産業振興に役立てられたことも記されていました。
実は、函館博物館所蔵の目録資料中には、少し異なった時期に水産陳列場に出展された展示物に関して「第三回内國勧業博覧會ニ於テ購入シタルモノニシテ明治二十四年七月北水協會ヨリ出品ニ付之レヲ陳列セシム」との記述が見えます。

いかがでしょうか。
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北海道大学水産学部の水産科学館に収蔵される明治期の「山口県鱶延縄」漁具です。
明治41年、出品山口県と記された札が付されていました。
明治41年(1908)、北海道小樽において開催された北海道水産共進会に、山口県から出品されたもので、それが現在に伝えられたものです。

明治25年(1892)開催の「北海道物産共進会」を総括した『北海道物産共進会報告』(北海道庁編)という資料があります。
これによると、北海道沿岸にはアオザメが多数棲息しているが、これを漁獲利用しないのは非常な「敗利」であるとされています。
そして最近ようやく漁獲するようにはなったが、共進会出品の鱶鰭生産技術には難があると指摘しています。

 明治20年代以降は、北海道の海の開拓が、積極的に進められようとしていた時期と考えられます。
そのような背景の中で鱶延縄漁業の導入が図られ、先進的漁具の一つとして、鱶延縄漁に用いる山口県改良漁船が函館にもたらされ、鱶延縄漁具が小樽において展示紹介されたのではないでしょうか。

目的は、清国輸出品となる海産物の増産!

萩の技術や萩の人々が、北海道の海を拓くことに関わってきたことが、次第に見えてきました。

・・・ つづく ・・・  (清水)
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by hagihaku | 2015-01-12 17:16 | くらしのやかたより
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