海を拓いた萩の人々、6 ~ 韓海開拓を牽引した萩の人々 ~
b0076096_10344994.jpg

明治35年(1902)の「防長新聞」記事です。
「韓海の漁利」の見出しで、前年に山口県から韓海へ出漁した漁船数がまとめら、漁獲高が報じられています。

玉江浦からは鱶・鯛漁で59隻、鶴江浦からは同じく鱶・鯛漁で54隻が出漁しています。
県下の出漁船数が278隻ですから、その4割を萩地域が占めていたことになります。
b0076096_10462327.jpg

明治時代の一時期、フカヒレ(鱶鰭)の生産量において、山口県は全国の半分以上を占めていたことがあります。
玉江浦や鶴江浦は、その鱶を延縄で漁獲する漁業最先進地として、全国にその名を知られました。
生糸同様に鱶鰭は、重要な輸出品でした。
b0076096_10514178.jpg

主な漁場は、巨済島や巨文島の周辺から済州島にかけての韓海(朝鮮半島近海)でした。
明治28年(1895)の第四回内国勧業博覧会において、玉江浦の漁業総代が出展して最高賞を受賞した韓海操業記録によれば、玉江浦からの韓海出漁は、江戸時代の文化元年(1804)からとされています。
韓海の漁場開拓の牽引したのは萩の人々なのです。
b0076096_1164870.jpg
b0076096_1171724.jpg

明治36年(1903)の第五回内国勧業博覧会賞状と、明治30年(1897)の第二回水産博覧会の褒状です。
鶴江浦から出品された鱶鰭や鱶延縄(漁具)の優秀さが認められての授賞です。
それらは韓海の漁場開拓の中で培われたもので、優れた技術や産物は全国に紹介され、各地の産業を興すことに役立てられました。

・・・ つづく ・・・   (清水)
[PR]
by hagihaku | 2015-01-25 11:22 | くらしのやかたより
<< ムササビの観察会を開催します(... 海を拓いた萩の人々、5 ~ 北... >>