海を拓いた萩の人々、9 ~ 明治期に萩で製造された魚介類缶詰 ~
萩博物館特別展「海を拓いた萩の人々」展も、残すところ1か月となりました。
ペースを上げねば、展示最終章までたどり着けそうにありません。
さて、明治時代に萩で魚介類缶詰が製造されていたことをご紹介します。
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サクラ鯛の缶詰ラベルです。
大日本!長門萩名産!を謳います。
製造元は、山口県萩浜崎町の馬庭長萩堂、主は馬庭三四郎氏です。
SEIZOU(?!) BY S.MANIWA とあります。
DIRECTION (使用書?! )で、英文による缶詰利用方が記されています。
当初、缶詰は大変高価で、輸出品や軍の糧食として利用され、一般にはなかなか食されなかったとされます。
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ハマチ日本煮(やまと煮)の缶詰です。
大和煮・日本煮は、醤油・砂糖・ショウガなどを用いて濃く味付けされた煮物です。
「防長新聞」の1904年(明治37年)11月11日の記事には、軍が、イワシ、サバ、ブリの缶詰供給を、指定の「阿武郡萩町馬庭三四郎、熊毛郡室積村江村英治、豊浦郡小串村里見万吉の三氏、及び大津郡仙崎村日本遠洋漁業株式会社」に求めたとあります。
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大阪天王寺で、明治36年(1903)に開催された第5回内国勧業博覧会の会場案内図です。
殖産興業を目的に開催されたこの博覧会には、水産加工品も多数出展されました。
実は、馬庭長萩堂からこの博覧会に出品されたサザエの缶詰が、有効三等賞を受賞しています。
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「山口県海陸物産食品缶詰製造」長蘒堂(長萩堂)製造のカマボコ(???)の缶詰です!
カマボコですよ、カマボコ。
萩の蒲鉾はエソを主原料にした焼抜き蒲鉾なのですが・・・この缶詰にされたカマボコの原料は・・・はて?
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くじら日本煮(大和煮)の缶詰ラベルです。
1904年(明治37年)9月30日の「防長新聞」には、岡十郎の創設した日本遠洋漁業株式会社が、萩町浜崎に缶詰製造の分工場を設けたことが報じられています。
この記事には、「多年、魚類の缶詰製造に従事してきた工場主の馬庭三四郎氏の所に技師を派遣し、その指導のもと、熟練の職工たちによって既に一万缶を製造した」といった内容の記述があります。
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上の記事の前後には、遠洋漁業株式会社の運搬船が下関に入港し、韓海で捕獲されたクジラの肉をもたらしたという記事たびたび見られます。
多い時には、15万斤(90トン)の鯨肉を積み帰っています。
同じ1904年11月6日の「防長新聞」には、日本遠洋漁業株式会社が、前年の1903年(明治36年)から、韓国慶尚道蔚山郡長承浦に建設した缶詰製造工場で鯨肉缶詰製造を続け、製造量が6万7千貫(約250トン)に達したことを報じています。

クジラの大和煮缶詰は、「防長新聞」の記事によれば、日本遠洋漁業株式会社が韓海でのクジラ捕獲を伸ばし、その販路を広げようとしていた時期で、かつ、日露戦争による軍食缶詰の需要が伸びていた時期、つまり1904年(明治37年)前後に製造が始まったと考えられます。

・・・ つづく ・・・   (清水)




 
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by hagihaku | 2015-03-08 17:07 | くらしのやかたより
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