海を拓いた萩の人々、11 ~ 漁業を産業として発展させた先駆者の2 ~
前のブログでご紹介した先駆者の田村市郎・国司浩助については、萩博物館のホームページ → 萩博の収蔵品(情報の引き出し) → 萩の人物データベースにおいて、情報を引き出すことができます。
ぜひ一度、データベースをお訪ねください。

さて、その田村・国司が下関を拠点に田村汽船漁業部を設立したのは、1911年(明治44)のことです。
その後、共同漁業株式会社に改組、根拠地を戸畑に移します。
1929年(昭和4)のことです。
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戸畑漁港概要の表紙です。
洞海湾に面した一帯が埋め立てられ、漁港が整備されます。
上の画像右上が下関で、上方が北の方角、画像下部が九州本土となります。
関門海峡に面した下関港に比べ、戸畑港は響灘・玄界灘を経て渤海・黄海・東シナ海への出入が容易な港であることが分かります。
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漁港完成予想図です。
陸上施設としては、総敷地4,500坪に、製氷冷蔵工場(1,500坪)、荷上場(500坪)、魚市場(300坪)、諸会社事務所(400坪)、魚糧工場(300坪)、製函工場(300坪)、そして研究所!(120坪)が設けられる予定になっています。
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この戸畑港には、漁業会社(共同漁業株式会社)を初めとして、関連の魚糧会社(竹輪やカマボコなどを製造)、販売会社(市場や販路開拓)、運送会社、漁網船具会社(日本漁網船具株式会社、籠寅!製罐株式会社)、製氷冷蔵会社、そして研究所(早鞆水産研究所)が集約され、一大総合水産基地となりました。
これを推進し、漁業の産業化を図ったのが、田村市郎・国司浩助でした。

根拠地の移転により下関から戸畑に移った人は、家族を含めると1万人を数えたとされます。

・・・ つづく ・・・   (清水)
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by hagihaku | 2015-03-20 12:59 | くらしのやかたより
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