海を拓いた萩の人々、12 ~ 漁業近代化の中で採り入れられた魚箱・トロバコ ~
萩博物館には、1925年(大正14年)撮影の映画フィルム4巻が保管されています。
後に総理大臣を務める田中義一に、下関の藤津良蔵から贈られたものです。
そのうちの一巻「下関の巻」に、旧下関駅(関門鉄道トンネル開通にともなう移転前)付近を撮影したものがあります。
今回の展示の中で、ある民俗資料の使われ方を紹介するために映像展示を行っています。
以下、そのキャプチャー画像です。
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駅傍らの桟橋から出航する関釜連絡船です。
残念ながら船名は読み取れませんが、船形から景福丸・徳寿丸・昌慶丸のいずれかの船と考えられます。
1922年(大正11)以降、これらの船が就航したことで 、下関-釜山の間が8時間で結ばれることになったとされます。
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関門鉄道連絡船です。
関門鉄道トンネルが開通した後も、1964年10月まで、下関-門司港間の人を運ぶ航路は運航されます。
(そういえば、幼い頃に乗船した記憶がかすかにあります)
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貨車航送船も撮影されていました。
資料によると貨車7両を航送することができたとされます。
第一~第五関門丸の5隻が運航されていたようですが、外輪船だったということに驚きました。
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ご注目いただきたいのは、映像のこの部分です。
肩に載せた重そうな木の箱が貨車に積み込まれています。
貨車の中からは、鉤を箱にかけて引き上げています。
この木箱が、トロバコと呼ばれる魚と氷を収めた魚箱です。
旧下関駅の東側駅端は港(入り江)に接しており、魚を収めた魚箱を、岸に着けた漁船・運搬船から、直接貨車に積み込むことができるようになっていました。
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このトロバコという呼び名は、現在は魚箱の総称のように用いられていますが、実はトロール漁業にちなむ名前とされます。

トロバコは、漁獲された大量の魚を無駄なく収めることができ、また積上げることもできます。
魚を大量に漁獲するトロール漁業とともに導入されたもので、トロールで用いる魚箱ということでトロバコなのです。

・・・ つづく ・・・    (清水)
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by hagihaku | 2015-03-20 16:04 | くらしのやかたより
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