海を拓いた萩の人々、13 ~ 海拓者たちの先進性 ~
田村市郎・国司浩助たちが、戸畑に総合水産基地を築いていったことは先に触れました。
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1936年(昭和11)に竣工したニッスイ戸畑ビル(当時は共同漁業戸畑営業所新館、現在一階部分がニッスイパイオニア館)です。
屋上に設けられた漁業無線局の鉄塔が印象的です。
世界の海を拓いていった船との無線交信に用いられたものです。
今回の展示では、共同漁業と関連の深い日本漁網船具株式会社(現在のニチモウ)の資料も展示しています。
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北海道大学水産科学館蔵・日本漁網船具株式会社制作のトロール網模型です。
大きな底引き網の網口を拡げるための抵抗版(オッターボード)にご注目下さい。
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下関市小月に在るニチモウの研究所(!)でお借りした写真です。
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オッターボードや網の浮標を製造しているところを撮影したものです。
傍らの人と比較すると、網の規模の大きさが見えてきます。
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田村市郎と国司浩助です。(いずれもニッスイパイオニア館提供)
田村・国司が興した漁業会社には、創業9年目の1920年(大正9)に、民間では最初の水産研究機関・早鞆水産研究所が設けられました。
水産資源について研究し、資源を枯渇させることなく持続的に利用することを設置目的のひとつとしていたとされます。
海拓者による大変先進的な取り組みといえます。
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その早鞆水産研究所に入り、天草、瀬戸内海などでクルマエビの生態研究に従事、初めて人工孵化に成功して日本農学賞を受賞した人がいます。
萩市江向出身の藤永元作です。
藤永は後に、水産庁の調査研究部長となり、アメリカ・カナダとの漁業交渉や、サケ・マスの資源をめぐるソビエトとの漁業交渉に尽力します。
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1959年(昭和34)、水産庁を退職した藤永は、製塩法が変わり使用されなくなった塩田とを再利用し、クルマエビの養殖に取り組みます。
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役目を終えた塩田が、やがてクルマエビのゆりかごとなりました。
遠く海を拓くだけでなく、眼前の海に注目して持続的に海の恵みを得ていこうとする取り組みであり、藤永も海を拓いた萩の人々の系譜に連なる人物の一人です。
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クルマエビ養殖発祥の地である山口県秋穂には、藤永元作の顕彰碑が建てられています。

・・・ つづく ・・・   (清水)
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by hagihaku | 2015-03-21 14:03 | くらしのやかたより
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