海を拓いた萩の人々、16 ~ 三見浦から壱州対州への羽魚網出漁の2 ~
壱岐対馬近海において、羽魚網漁を行うのは、もっぱら三見浦と壱岐勝本港の漁船だったそうです。
三見浦から20数隻、勝本からも20数隻、多い時には50隻に及ぶ羽魚網漁船が操業していたとされます。
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大正9年(1920)、勝本港の一部、城山の麓辺りの船溜まりを俯瞰撮影した絵葉書です。
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「長靴を履いた足を投げ出したような」、と表現される舳先の漁船が認められます。
三見浦の漁船かもしれません。
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勝本港では、三見浦の船団が寄港していたことが、現在も良く伝えられています。
あるお宅には、寄港していた三見の人々が贈ったという石灯籠がありました。
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道の両側に、二階建ての家屋が壁を接して立ち並ぶ勝本浦の町なみです。
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残念ながら、魚問屋は随分昔に経営を止めており、三見船団が出漁していたころの資料は確認できませんでした。
当時の問屋もほとんどが改築されていましたが、大久保本店の建物が、元魚問屋の存在感を伝えていました。
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三見の三田八幡宮境内にある神社改修を記録する石碑です。
大正11年(1922)の改修時のもので、石碑には改修費用の寄付者の名前が刻まれています。
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その中に、当時、三見浦の船団と関わりのあった魚問屋の名前が認められます。
壱岐勝本港の泉屋、表谷、唐津屋、大久保支店(魚問屋は他にも多くあったそうですが、水揚げはこの4問屋だったそうです)、対馬厳原港の一色から、多額の寄付があったことが分かります。
ちなみに、三見船団で最も多くの船が羽魚を水揚げしていた問屋は、泉屋だったそうです。

・・・ つづく ・・・   (清水)
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by hagihaku | 2015-03-29 13:46 | くらしのやかたより
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