海を拓いた萩の人々、19 ~ 海の開拓者たちを育んだオシクラゴウ ~
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萩市玉江浦に伝わる和船競漕「オシクラゴウ」での競漕中の写真です。
平成5年(1993)までは、4組の青年宿(若者宿)を代表した4艘の和船が、海上はるか往復2里(約8㎞)で熱い競漕を繰り広げていました。
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玉江浦のオシクラゴウは、例年、地区内に祀られる厳島神社の祭礼において催行されています。
かつては旧暦の5月11日、現在は6月第一日曜日に行われることになっています。
祭りが近づくと、上組、中間組、角屋組、下組、それぞれの青年宿を代表する漕ぎ手の名前が貼り出されました。
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青年宿(下組)の前に誇らしげに飾られた獲得トロフィーです。
以前は、漁業者となる若者はすべてこの青年宿に加入し、食事をとる時以外は宿に寝泊まりしながら団体で生活しました。
漁具の調え方など漁業上必要な知識を習得し、船の係留や海難救助、祭礼奉仕等々、若い力が必要とされることに携わりました。
宿を終えた若者は、一人前の漁業者と認められ、やがて中堅の乗組員となり、船頭や漁業の指導者となっていきました。
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競漕船の整備を行う青年宿OBのお父さんたちです。
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海を拓いていったお父さんたちは、若いものの面倒を実によく見ます。
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海で暮らす人たちの気風なのかもしれませんが、後輩たちへの助成は大変に熱心です。
日頃から、海の上で力を合わせて漁を行う姿が目に浮かびます。
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競漕に出発する船を船溜まりの岸で送る人、人、人です。
それぞれ50人程度が加わっていた青年宿において、オシクラゴウの漕ぎ手に選ばれることは、大変に名誉なことだったそうです。
櫓を押す力が強いだけでは選ばれず、将来リーダーになれるような人物が推されたということです。
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いかがでしょうか?
人、人、人、屋根の上にも人。
若者たちはオシクラゴウの漕ぎ手に選ばれるよう精進したとされます。
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応援にも熱が入ります。
このオシクラゴウの行われる日には、地域の人たちが家々を訪ねあい、それはそれは大賑わいとなります。
漕ぎ手に選ばれた若者の家では、あらかじめ畳を裏返してその上にシートを敷き、乱入?に備えたそうです。
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そのような中、出発式です。
「奴を振る」と表現されますが、船板を叩く音に合わせて、赤い襦袢を着た若者が華やかに幣を操作します。
競漕は、玉江浦漁港沖から北西に向け漕ぎはじめ、沖の浮標に立てられた旗をとって帰ってきますが、風や波の状況によっては、往復で1時間近くを要することもあったそうです。
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競漕復路の様子です。
カメラの視野に納まらない所で、たくさんの漁船が旗を振りながら熱く応援を続けます。
時に、熱くなり過ぎることもあったやに聞きました。
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競漕を終えた船と若者を迎える人たちです。
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表彰式の様子です。
誇らしげな若者と、やがて地域や漁業を担っていくであろう若者を見守る人々のあたたかいまなざしが印象的です。

文書資料によれば、船競漕は1700年代の終わりごろには行われていたことが確認されています。
ただ、オシクラゴウの起源については伝えられていませんし、良くわかっていません。

オシクラゴウの漕ぎ手に選ばれた若者たちは、やがて地域や漁業において中堅となり、指導者となってまた若者を育んでいったそうです。
そのことを考えると、オシクラゴウは、長年にわたり、玉江浦という地域が地域の後継者を自ら育成する上で、大変重要な役割を果たしていたのではないかと思われるのです。

海の開拓者たちは、オシクラゴウによって育まれてきたのです。

スイマセン、長くなりました。    ・・・ つづく ・・・    (清水)
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by hagihaku | 2015-04-12 16:59 | くらしのやかたより
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