海を拓いた萩の人々、20 ~ 開拓者たちの誉れ ~
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海を拓いた萩の人々の活躍を示すフライキ(大漁旗)です。
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玉江浦や越ヶ浜の漁業者の皆さんは、東シナ海や黄海などの漁場開拓に赴き、フク(河豚)やアマダイの延縄漁で目覚ましい水揚げを記録していました。
右の大漁幟(旗)は、下関中央市場から大漁を祝って贈られたものです。
昭和30年代に、一回の水揚げが100万円を超えるとこの幟が贈られたそうです。
50万円を超えると中央や左のフライキ(大漁旗・優漁旗)が贈られたそうです。
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漁場が近い福岡魚市場や長崎魚市場にも水揚げしていたことから、それぞれの魚市場から贈られたフライキも数多く伝えられています。
長崎魚市場のフライキの前に展示しているのは、越ヶ浜の造船所で制作されたフク・アマダイ延縄漁船の模型です。
昭和50年代の最盛期、越ヶ浜からは、このような延縄船104隻が東シナ海や黄海に出漁していたそうです。
一隻に8人程度が乗り組みますから、越ヶ浜だけで、海の開拓者は800人に上ったことになります。
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越ヶ浜においては、戦後の昭和20年代半ば以降、李承晩ライン設定などもあって漁場を黄海や東シナ海に求めるようになったとされます。
自らの船の位置を把握できる航法装置が導入されるのは昭和30年代に入ってからだそうです。
それ以前は、コンパスを頼りに、例えば「五島列島の男女群島を起点に、南西に2昼夜走り!!」といった大胆な(大雑把な)出漁を行っていたそうです、焼玉エンジンの船で!
そのころに大いに活躍したのが、レットと呼ばれる用具です。
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レットは鉛の錘を投下して海の深さを測る道具です。
「二昼夜走り」で出漁した漁場からどうやって帰ってきたのかと尋ねたところ・・・
海の開拓者であるお父さんたちは、事も無げに、
「出漁した時の反対に針を立てて(磁針で方角を定めて)帰りゃ~ええソいや~」
(エッ??? 自船の位置が分からないのに・・・出発点が不明で目的地に到達できるんですか???)
「時々船をとめてのぅ、深さを測って浅うなる方へ帰って来たソいや~。太平洋に向けて海は深うなるけ~の~」とのこと。

その際に用いられたのがレットなのです。
錘の底は窪んでいて、ここにグリスを塗って投下すると、海底に着いた際に、底の砂や土、貝殻などが付着し、底質を知ることができます。
海の深さと底質とを海図で確認して帰ってきたとのことですが・・・何とも大胆な航法です。
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赤丸で囲んだ五島列島男女群島から、南西へ二昼夜走り!の漁場は、実は、この漁区図の外になります。
帰路、進路を北に取りすぎて朝鮮半島に達した話や、陸地は見えたが場所の見当がつかず、沿岸で操業中の漁船に近づいて、「ここはどこかいの~」と尋ねたら長崎の野母崎の沖だった話など、楽しい(少し恐ろしい)体験談には事欠きません。
海を拓いた萩の人々の大胆さやたくましさには脱帽です。

・・・ つづく ・・・   (清水)
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by hagihaku | 2015-04-16 20:48 | くらしのやかたより
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