萩地域では、昔から延縄漁が盛んでした。
その延縄漁において、東シナ海や黄海の漁場開拓が進むのは昭和20年代の後半、1950年代のこととされます。 李承晩ラインが設定されて、萩地域でも多数の漁船が拿捕されるという大事件が起こってからのことです。 当初は発動機船で、「五島列島男女群島を起点に南西に二昼夜走り!」、「水深を測りながら浅い方へ帰ってきた」というような出漁が行われてきたことは、このブログでも紹介しました。 昭和47年3月、山口県のフク延縄やアマダイ延縄などの遠洋延縄協議会発足を伝える新聞記事です。 協議会の設立趣旨は、加盟漁船が秩序をもって操業し、資源保護・育成を図ろうというものでした。 当時、県下の加盟漁船は264隻、その内、越ヶ浜が99隻、玉江浦が69隻、大井湊が16隻など、萩・阿武地域の漁船は181隻を占めていました。 東シナ海や黄海の漁場を「萩の人々」が拓いていったことが見えてきます。 今回の展示では、フク延縄漁操業中の写真もお借りして展示することができました。 どのように操業が行われたのかが伝わる貴重な記録です。 そして今回は、越ヶ浜の延縄漁船船主船頭であったAさんからお借りした貴重な漁業史料も展示・ご紹介することができました。 20数年間、出漁時には毎日欠かさず記録された操業日誌と、それと対応する操業図です。 いつ、どこで、どのように操業したか、海底の状況や近辺の同僚船を含めた漁の状況などが、几帳面な文字で書き込まれています。 「時化て漂泊中」というような記述もありますが、文字に乱れがないことに感心してしまいます。 Aさんは事もなげに、「操業日誌を書き、また操業図を作成するのは、船頭としては当たり前のこと」、「自身の覚えのためでもあるが、後日、だれか後進の役にたつこともあろうと思い作成した」ということを仰いました。 「海を拓いていった人々」の志に触れ、感動しました。 スケッチブックを用い、手書きで作成された527漁業区の操業図の部分です。 このような操業図が、漁業区ごとに何枚も作成されています。 分厚い「海拓史」を編むことができそうです。 因みに527漁業区は、赤い円で示した辺りになります。 「この辺りは自分の庭みちょうなもんですいの」とAさん。 「海を拓いた萩の人々」に深い敬意を抱いた今回の企画展でした。 ・・・ つづく ・・・ (清水)
by hagihaku
| 2015-05-03 12:15
| くらしのやかたより
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