城下町萩では、江戸時代の城下町絵図を、今も地図として用いることができます。
それは、江戸時代に形作られた「まち」が、大きく改変されていないことを意味します。 「まち」が大きく改変されなかった理由=ひみつの一つに、大きな災害を被らなかったことを挙げることができます。 上からそれぞれ、1945年、昭和20年4月13日撮影、7月5日撮影、8月7日撮影の萩三角州の航空写真です。 上空30000フィート以上の高空から撮影された大変高精細な写真で、いずれも、戦時中に米軍が撮影したものです。 ※ 元徳山工業高等専門学校教授の工藤洋三先生のお手を煩わせ、米国公文書館から取り寄せることができました。 ※ 以下にご紹介する米軍の機密資料も、工藤先生のお計らいで入手することができたものです。 機密扱いの米軍資料4枚の内の2枚で、日本の中小都市を攻撃する計画書です。 太平洋戦争末期、日本の主要都市や軍事拠点をほぼ破壊し終えた米軍は、続いて日本の中小都市の爆撃を計画します。 戦争の継続を、より困難にさせるという目的です。 その際、人口を基準に180の都市が目標としてリストアップされます。 実は、その攻撃目標180都市のリストの157番目に、「Hagi」が掲載されています。 そうです、萩は攻撃目標の一つだったのです。 それ故に、先にご紹介した偵察写真が撮影されているのです。 しかし幸いなことに、萩の「まち」は、敗戦により爆撃を免れました。 リストアップされた180の都市の一覧と被災の状況を図にまとめてみました。 赤色で表現された都市名と地図上の点とは、爆撃を受けた都市です。 およそ3分の2の都市が被災しています。 もし仮に戦争が長引いていたら、萩の「まち」も、日本の多くの都市が被ったような戦災により破壊される可能性が有った!ということです。 萩の「まち」は、しばしば水害に見舞われはしましたが、治水・排水の工夫を重ねて上手に水と共生をはかり、甚大な災害を免れてきました。 「まち」を焼き尽くすような大火災にもみまわれませんでした。 震災にみまわれることもありませんでした。 そして戦災を免れることもできました。 いかがでしょうか。 大きな「災い」を被らなかったことにより、萩の「まち」」は破壊や改変を免れ、その結果として、今でも江戸時代の城下町絵図を地図として用いることができるのです。 ・・・ つづく ・・・ (清水)
by hagihaku
| 2016-02-17 18:15
| くらしのやかたより
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