城下町萩のひみつの9 ~誇りによって守られた「まち」~
城下町萩では、江戸時代の城下町絵図を、今も地図として用いることができます。
それは、江戸時代に形づくられた「まち」が、大きく改変されていないことを意味します。

今回のブログでは、城下町に住まいしてきた人たちの「誇り」が、この「まち」を守ったということについてご紹介します。

その前に、萩博物館企画展へ皆さんを誘うイメージ映像を制作しましたので、よろしければご覧ください。
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企画展 城下町萩のひみつ

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1924年、大正13年に、萩反射炉が国の指定文化財となります。
その指定直前か直後のの撮影と考えられる反射炉の古写真です。
その前々年、1922年、大正11年に松下村塾・吉田松陰旧宅が国指定史跡に指定されます。

明治維新後50年余を経た1920年ころより、萩の「まち」においては、歴史上の出来事やそれに関わった人物が再認識されるようになります。
そして、人物の旧宅や城下町起源の史跡などが文化財として指定され、保全が図られるようになります。
それは、自らにとって誇りとすべきものを再発見し、その価値を共有し、そして継承していというく活動でもありました。
早い時期からのこの取組みがあったからこそ、豊かな城下町の歴史文化が今に息づくこととなります。
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鉄道(後の山陰本線)は、反射炉のすぐ傍に敷設されました。
1929年、昭和4年には東萩駅-奈古駅間が開通しましたが、その直後頃の撮影と考えられる写真です。

1929年には、明倫館水練池・明倫館碑・有備館がともに国指定の史跡に指定されます。
1932年、昭和7年には、木戸孝允旧宅・伊藤博文旧宅が、国指定の史跡に指定されます。
この年、萩町が市制を施行して萩市となりました。

「長州新聞」1930年(昭和5)7月1日号には、市制施行を訴える林町長の意見が掲載されています。
その中で、林町長は、市制施行に向けて萩町民の賛同を得るために、
(1)史跡名勝に富むことを活かした遊覧の都市建設、
(2)交通網整備にあわせて天然資源を活かした加工工業の都市建設、
(3)人材を輩出した歴史環境を活かした教育地としての都市建設 を訴えています。

「観光立市」への意識が示されていて興味を覚えます。
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市制施行3周年記念の萩史蹟産業大博覧会開催を報せる絵葉書です。

1935年、昭和10年4月、萩市土原グラウンド(現在の萩東中学校地)において、萩実業会主催の萩史蹟産業大博覧会が開催されました。
この博覧会は、萩の史跡を紹介し、それらを保全活用しつつ萩市経済を活性化させることを目的としていました。
会場には、日産コンツェルンの日産館をはじめ、産業本館・史蹟観光館・朝鮮館などのパビリオンが設置され、入場者の関心をひきました。
また、博覧会に併せて、明倫小学校では防長勤王資料館が開催されるなど、種々の行事で市内は賑わいました。

城下町に住む人たちにとっての誇り=歴史的な資源が大いに注目を集めました。

長くなるため割愛しますが、明治維新後50年頃から100年頃までの間の文化財指定や保存にかかわる出来事を通覧すると、実に多くの「誇りを継承する活動」が行われていたことが見えてきます。
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1970年、昭和45年に始まった国鉄のディスカバージャパン・キャンペーンのポスターです。
紹介されているのは萩の古いお寺(観音院)の苔むした瓦です。
「古き良き時代の名残り」というコピーが添えられています。
「なつかしい日本のふるさと」として注目を集めた萩には、歴史や伝統的な文化に触れることを求める多くの人が訪れました。

明治維新後50年を前にした1916年、大正5年に、阿武郡教育会に史蹟保存会が設立されます。
以降、様々なタイミングで史跡などの歴史的資源を保存する活動が展開されます。
明治維新100年(1968年)を前にした1965年、昭和40年には、城下町萩の歴史文化の掘り起しや「史都萩」の継承を目的に、「史都萩を愛する会」が発足します。
1967年、昭和42年には会報は創刊されますが、その創刊号に興味深い巻頭言が寄せられています。
以下、長くなりますが、その一部をご紹介します。

「あいさつ」(抄録)  林良雄 (史都萩を愛する会 会長)

(前略)

 萩市の歴史的遺産は、殆んど全く萩市民が意識的に保存に努めて残したものではなく、自然に残ったものであります。そして、明治維新百年を迎えた今日は、あたかも江戸時代の建築の建て替え期にあたるものも多く、また一方、生活近代化への欲求も強く、建替え、改築、改造が盛んに行われ一つの危機を迎えております。
 すなわち、自然的保存はその限界に達し、今日以後、史都の姿を保存しようとすれば自然的保存から、人為的意識的保存に切り換えなければその目的を達することができないようになったのではないかと考えられます。そしてこれは困難な仕事ですが、しかし不可能ではありますまい。
 史都萩のたたずまいは、往昔の萩城下住人が造り残してくれた遺産ではありますが、これを家庭に例えれば、祖先の残した家宝に相当するものでもあります。その家宝に相当するものの模様変えや処分が、これまであまりに軽々しく行われた感じがありますし、現在もなお行われているといえましょう。しかも、この家宝に相当する史都のたたずまいは、今や貴重な観光資源として脚光を浴びてまいりました。

(中略)

 史都の保存が危機にあい、転換期にさしかかっても、これを守るための方法の要は唯一つ、全市民の総意総力を一つに併せることであると信じます。
 私は、本会の発足にあたり、会員皆様と共に、今日の郷土萩の姿を美しく、良く守るとともに、五百年千年後の子孫が喜んでくれるような、史都萩の姿を残すために、本会の会員がますます増加し、その活動が発展するよう祈ってやまないと同時に、市内外の史都萩を愛する多数各位のご声援、ご鞭撻を心からお願いいたします。


いかがでしょうか。

「城下町に住む人たちが、当たり前のこととして継承してきた自らの「誇り」が、これからは、意識しないと保たれない」といった危機感が示されています。
今から50年前の指摘です。
自らの誇りを大切にするこの意識があったからこそ、城下町の豊かな歴史文化が、今に息づいているのではないでしょうか。

ご参考までに、この後の行政における歴史的な資源・遺産の保存・活用の取り組みを列挙します。
 1972年、昭和47年に、「萩市歴史的景観保存条例」制定
 1976年、昭和51年に、「萩市伝統的建造物群保存地区保存条例」制定
  ※ この間、市内7地区が歴史的景観保存地区に指定され、萩市堀内地区、平安古地区、浜崎地区が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定される
 2004年、平成16年、「萩まちじゅう博物館条例」施行
 2007年、平成19年、「萩市景観条例」制定、「萩市景観計画」策定
 2008年、平成20年、「歴史まちづくり法」公布・施行にともない「屋外広告物に関する条例」制定
 2009年、平成21年、「萩市歴史風致維持向上計画」が国により認定
 2012年、平成24年、「萩市花と緑のまちづくり条例」施行

長くなり恐縮です。
「誇りの継承」は今も続いています。

・・・ つづく ・・・   (清水)
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by hagihaku | 2016-03-08 13:26 | くらしのやかたより
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