城下町萩のひみつ の10 ~ 南明寺のイトザクラと同行札 ~
2016年3月17日(木)、萩は良い天気となりました。
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城下南郊に南明寺(なんみょうじ)という天台宗の寺院があります。
江戸時代より城下の人々が開花を心待ちにしたイトザクラがあることで知られています。
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本日の南明寺境内のイトザクラです。
他の桜に比べて開花が早いことから、
「南明寺の糸桜、散っちゃあ 行っちゃあ 見ぃちゃあ あっても、咲いちゃあ 行っちゃあ 見ぃちゃあ ない」
(方言で、散ってから行って見る人はあるが、咲いているのを行って見る人はいない、の意)
と歌われたとされます。
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今年は少し開花が遅いようですが、今日の陽気で、一気に花が開くかもしれません。
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江戸時代に編まれた『八江萩名所図画』の中の「南明寺花見の図」です。
城下の人々が花見を楽しむ様子が木版画で表現されています。
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イトザクラのある境内を抜けて、山道を登ったところに南明寺観音堂があります。
城下の人たちが、江戸時代の早い時期(遅くとも元禄期)から、「七観音詣で」で参詣した城下の七か所の観音寺院・庵堂の一つです。
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観音堂部分を拡大したものですが、屋根の内側、壁面をご注目いただけますでしょうか。
何か野球のホームベース状のものが表現してあります。
下の写真は、やはり「七観音」の一つである市内後小畑の福聚院です。
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多数の札を認めることができます。
この札を、便宜的に「同行札」(どうぎょうふだ)と呼んでいます。
かつて城下やその周辺の地域では、町内や集落の年齢の近い若い人たちが、同行と呼ばれる講のような組織を組んで、近畿地方の西国三十三観音霊場を巡っていました。
その霊場巡りから帰った人たちが、無事の帰還を感謝して、観音様を祀る堂庵に奉納したのがこの「同行札」です。
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天保11年(1840)の年号が記された同行札です。
城下の港町である浜崎町の同行が奉納したものです。
同行による西国観音霊場巡りは、成年となるための通過儀礼のような要素を持っていました。
交通の発達していない時分に、50日以上をかけて巡礼した話を伺ったことがあります。
苦楽を共にした人たちの間には、終生続く固い絆が生まれたとされます。
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今回の企画展「城下町萩のひみつ」においては、その「同行札」を展示しています。
同行による西国観音霊場巡りは、全国的には、江戸時代中ごろに始まり定着したとされます。
城下町萩では、その初期である宝暦年間(1750年頃)より巡礼に赴いていたことが、伝えられた「同行札」から確認できます。
確認できた最も新しい札は昭和36年(1961)のもので、伝承によれば、昭和40年頃までは同行による巡礼は続いたとされます。
同行の絆は、今でも地域のなりわいや行事など様々な側面で発揮されているそうです。

江戸時代起源の歴史文化が、城下町萩には息づいています。
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博物館「前」駐車場の片隅のアンズの花です。
昨年、ツバメの飛来を確認したのは3月24日のことでした。
もうすぐそこまで春が来ています。

萩博物館企画展「城下町萩のひみつ」展は、4月7日(木)までです。
お運びお待ちしております。
     ↓↓
https://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=16p7hlqCDVY>

・・・ つづく ・・・    (清水)
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by hagihaku | 2016-03-17 15:18 | くらしのやかたより
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