伊藤博文の英文筆記―「長州ファイブ展」より④―
このシリーズでは、なるべく珍しい展示品を選んでご紹介しているつもりですが、今日とり上げる伊藤博文の書簡は、また一味違った趣をかもし出してくれています。

b0076096_18463845.jpgいわゆる明治人の書簡としてはごく普通に、巻紙(まきがみ)に墨で書かれたものですが、巻物を開いて読み進んでいくと突然、鉛筆で書かれた部分が現れます。しかも墨で書いた部分は、当然タテ書きで右側から左側へと進みますが、鉛筆の部分はヨコ書きになっています。よく見ると、そこはなんと英文なのです。さすがに筆では、英語は書けなかったのでしょうね。

この書簡は、伊藤が明治22年(1889)7月17日に、娘婿の末松謙澄(すえまつ・けんちょう)に送ったものです(個人蔵、当館寄託)。調べてみると、当時ベルリンに留学していた養子の勇吉(ゆうきち)が肺病にかかったため、急きょ帰国させることになったという英文の電報を伊藤が受け取り、転記して末松に報せたものであることがわかりました。

b0076096_18482299.jpg手元に届いた英文の電報を、第三者へ伝えるためにただ書き写したものであるとはいえ、伊藤が書いた英文のつづり自体はそう数が残っていないのではないかと思います。現に伊藤は、英字新聞を普通に読んでいたぐらいですので、このぐらいのことは朝飯前だったのでしょうが、それにしてもスラスラっと、ああ羨ましい…。

長くなりますのでもう止めますが、「国際通」として知られた伊藤の面目躍如たる姿をあらわした書簡であることはいうまでもありません。そのほか実は井上馨も、号の「世外」でこの書簡に登場しており、興味は尽きません。おそらく学界でもほとんど知られていない書簡と思われますので、今年度末の博物館研究報告の材料にでもしようかと考えているところです。

(道迫)
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by hagihaku | 2006-07-24 19:02 | 企画展示室より
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