こちらも達筆、井上馨―「長州ファイブ展」より⑤―
今回の展示を通じて担当者の私自身、「意外」と言っては本人に失礼ですが、「井上馨もなかなか立派な字を書く人だなぁ」と再認識している今日このごろです。

b0076096_19161943.jpg井上は、戦前に作られた『世外井上公伝』という大部の伝記では文学方面にあまり縁がなかったと評されています。「長州三尊」とよばれる3人のうち、伊藤博文が詩に、山県有朋が歌に長けていたなかで、井上は2人に一歩譲るというのです。たしかに、井上の創作は詩が約150篇、歌が約100首ということで、当時の代表的な教養人と比べると量的には少ないほうかもしれません。

ところが、井上の次の詩を読むと、とても感性豊かな詩人だったことがおわかりいただけるはずです。

山深涼氣洗心胸 山深くして涼気(りょうき)心胸(しんきょう)を洗ふ
行入函關秋色濃 行きて函関に入れば秋色濃(こま)やかなり
獨立湖邊試晩望 独り湖辺に立ちて晩望(ばんぼう)を試むれば
水心清處浮芙蓉 水心(すいしん)清き処(ところ)に芙蓉(ふよう)浮く

「山が深く涼やかな空気が私の胸の内を洗ってくれる。行って箱根の関へ入ってみると、秋の景色が洗練されて味わい深い。一人湖のほとりに立って夜の景色を眺めてみれば、水面中央の澄んだところに富士山が浮かんでいる」と解釈することができます。

加えて文字もかなりうまいです。井上は幕末の志士時代に、藩主毛利敬親や世子元徳に小姓役として仕えていたほどですから、これぐらいは書けて当たり前だったのかもしれませんね。


井上は明治14年(1881)前後、激務がたたって頭痛を覚えるようになり、しばしば静養のためといって東京近県に出かけたようです。この詩はそのころに行った箱根での作と思われますが、とても清々しい内容から「本当に頭痛だったの?」と疑わしく思うのは、きっと私だけではないでしょう(笑)。

(道迫)
[PR]
by hagihaku | 2006-07-31 19:31 | 企画展示室より
<< 組み木フェスティバル~糸のこ体... 菊ヶ浜の夕陽 >>