「皆さん御免!ダダを言うても」by井上馨―「長州ファイブ展」より⑥―
b0076096_17155184.jpg茶道の嗜みをお持ちの方ならすぐにおわかりいただけると思いますが、かつては袱紗(ふくさ)とよばれる儀礼用の四角い絹布がよく使われました。風呂敷(ふろしき)同様、現代生活ではあまり馴染みのないものですが、今回紹介する袱紗はただの袱紗ではありません。なんと井上馨が、自筆で歌を書き入れたものなのです。

これは、62歳の井上が還暦(かんれき)を記念して知人の中西寿平に贈った袱紗です。富士に松竹梅というめでたい図柄があしらわれた品のよい縮緬(ちりめん)地に、「今日よりは元の赤子に還(かえ)りけり皆さん御免だだを言うても」と墨書しています。中西の縁者から旧郷土博物館時代に寄贈していただいたもので、「井上馨還暦所懐歌染袱紗」という表題で保管しています。

ところで井上の還暦は、数え年で61歳になる明治28年(1895)のはずですが、忙しかったためかこの年は機会を逃したようで、翌29年4月に山口で、同30年5月に東京の本邸でそれぞれ祝宴を開いています。袱紗には「六十二歳 馨」と署名していますので、明治29年(1896)の作であることがわかります。b0076096_1716498.jpg

そこで、井上が書いた歌をよくよく読んでみると、これは洒落や風刺をきかせた滑稽な短歌、すなわち狂歌(きょうか)、または戯言歌(ざれごとうた)とよぶべきものです。生まれた年の干支(えと)と同じ干支の年がくることを還暦といいますが、井上は「今日からもとの赤子に戻るので、みなさん、わがままいうけど許してね」と伝えたかったのでしょう(笑)。

ちなみに明治新政府の発足まもないころ、大蔵省でともに困難に立ち向かった大隈重信は、後年、「井上氏は一たび起てば獅子の荒れた如く、前後左右を顧慮せずに進むから、能(よ)く人と衝突し、又人から誤解されて敵を作ることもあった」と回顧しています(『世外井上公伝』)。伊藤博文を含め、東京築地にあった大隈の私邸によく集ったことから「築地梁山泊」(つきじりょうざんぱく)と称された者同士ならではのコメントで、井上の押しの強い人柄がよく言い表されています。

この強引な性格が目立ちすぎるせいか、とかく財界での汚職事件ばかりが取り沙汰されることの多い井上馨。しかし、前回も触れた「長州三尊」中、書画骨董の鑑賞と狂歌においては伊藤・山県をはるかに凌いだといわれるように、今回紹介したような茶目っ気たっぷりの狂歌から想像すると、とてもユーモアに富んだ人だったんでしょうね。

(道迫)
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by hagihaku | 2006-08-03 17:23 | 企画展示室より
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