東洋美術の保存につとめた井上馨―「長州ファイブ展」より⑦―
萩は今日まで夏祭りですから、余勢を駆ってついでにもう一本!行っちゃいましょう。

b0076096_18472479.jpg円山応挙の「雪中鴨図」(個人蔵)を8月1日から展示公開していますが、皆さんもうご覧いただけましたか?

くどいようですが、これは井上馨がかつて所蔵していたもので、今日に至るまでほとんど世に出ることのなかった作品です。残念ながら、いつ、どうやって彼が手に入れたかについてはわかっておりません。

写真が小さくてわかりにくいですが、目のパチクリした鴨の後ろ側に、実はもう一羽、首を背のほうにすぼめたのも描かれています。とにかく絵画的には実物を鑑賞していただくのが一番ですが、なぜあの井上馨が…と担当者の私自身、当初は不思議に感じていました。

というのも、井上といえばすぐに有名な「鹿鳴館」(ろくめいかん)が思い浮かぶからです。具体的には、「鹿鳴館外交」と世に喧伝されたように、明治12年(1879)に外務卿(がいむきょう)となって以来、同18年の初代外務大臣就任を経て同20年に辞職するまで、一貫して急進的な欧化主義政策を進めた人物、という先入観が影響しているのかもしれません。

ところが、そのように見なされがちな井上が日本や中国の美術作品を積極的に収集した背景には、明治初頭の古物破壊の風潮や、美術品の海外流出に対する強い危機感があったというのです。しかも井上は鑑賞眼に優れていたといわれ、長崎県知事在任中から書画・彫刻・陶磁器・漆器・銅器などを幅広く収集したそうです。

たしかに『世外井上公伝』所載の収集品リストをみると、日本は周文、雪舟、狩野探幽(たんゆう)、土佐光起(みつおき)、中国は「馬夏」と並称される馬遠(ばえん)・夏珪(かけい)、戴文進(たいぶんしん)などなど、日中画壇を代表する画家たちの作品がゴロゴロあったようです。当時としては無類の古美術品収集家だったといえるでしょう。

これまで井上については、人間の営みの基本である衣食住を急激に和式から洋風に変えようとしたイメージから、頭のてっぺんから足のつま先まで、すべて西洋一色に染まった人物であるかのように思っていました。しかし、こうして東洋の伝統美術保存に対する強い思いがあったことを知ると、日本人としてちょっと嬉しくなってしまいました。要するに井上は、単なる西洋かぶれではなかったんですね。

(道迫)
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by hagihaku | 2006-08-03 18:53 | 企画展示室より
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