シリーズ最後は伊藤博文―「長州ファイブ展」より⑪―
はやいもので「長州ファイブ展」の会期もあと3日となりました。なんだかんだ10回も続いたこのブログですが、最後は展覧会メインの伊藤博文で締めくくりたいと思います。

b0076096_19474729.jpgこの伊藤の写真は、吉田松陰の兄の杉民治のご子孫から萩市に寄贈されたものです。しかも裏面をみると、伊藤の自筆で「明治二十九年 天長節撮影」と書かれ、1896年11月3日に撮影されたことがわかります。ちなみにこの写真を撮ったのは、東京芝新シ橋(あたらしばし)角に写真館を開いていた明治時代の代表的な写真師、丸木利陽(りよう)です。

さてこのころの伊藤はというと、約2ヶ月前の明治29年8月に第二次伊藤内閣を総辞職したばかりでした。第二次内閣では明治27年7月、駐英公使の青木周蔵の尽力により日英通商航海条約に調印。幕末期以来の懸案であった不平等条約のうち、領事裁判権の撤廃、関税自主権の一部回復に成功しました。また同年8月に清国との間で日清戦争を開戦し、翌年勝利して下関条約を締結しています。

b0076096_1951663.jpg日本は明治37~38年の日露戦争を経て、朝鮮半島、中国大陸への侵略の道を歩みます。そこでご覧いただきたいのが、韓国(大韓帝国)の純宗(じゅんそう/スンジョン=隆煕皇帝)が巡幸中の1909年(明治42)2月に撮影された右側の集合写真です(『伊藤博文伝』より)。

展示品の「伊藤博文・李完用・趙重應・宋秉畯寄書」(春風文庫蔵)とともに、伊藤と韓国親日派政権との接近を物語る史料であり、それへの反発が1909年10月の安重根による伊藤暗殺を引き起こしたのだと想像できます。

幕末から明治にかけて活躍した5人のヒーローこと「長州ファイブ」。彼らの日本の近代化に対する貢献度の高さからこの呼称が生み出され、ついには映画にまでなったわけですが、今回私が伊藤についてあえてこういう記事を書いたのは、いい面をみるだけでは真の歴史とはいえないと考えるからです。

このシリーズ、当館研究員の道迫が担当いたしました。短い期間でしたが、これをもって終了いたします。事実に誤りがあるか、もしくはご意見、ご感想などございましたら、とりあえずコメントをお寄せいただけたら幸いです。最後までお読みいただいた方、お付き合いのほどありがとうございました(礼)。

(道迫)
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by hagihaku | 2006-08-31 19:57 | 企画展示室より
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