始まりました!
昨日11月2日より、「井上剣花坊と川柳」展が始まりました。

b0076096_1742652.jpg剣花坊は、明治3年(1870)に市内江向で誕生しました。
小学校教員、新聞記者を経て、川柳会と川柳雑誌を主宰し、遊びに陥っていた川柳の改革に努めました。近代川柳中興の祖とされています。

昭和9年(1934)に亡くなるまで、3000を超す川柳と、川柳改革を進める多くの論文を発表しています。





剣花坊は、日常を、易しいことばでストレートに川柳にうたって支持されました。

b0076096_17133972.jpg

 「どっしりと坐る一万二千尺」                                
 「親といふ宝は誰も持っている」
 「何よりも母の乳房は甘かりし」
 「何万の魚の中の初鰹」                                           
           

反骨・反権力の川柳も多く残しています。                             

 「大阪城 この石を一つ運ぶに無数の死」
 「支那はまだ取れず醍醐の花の雲」
 「自動車で憎まれにくる花の山」


思わず「ニヤリ」としてしまう川柳もあります。

 「猫の皮金のなくなる音をさせ」
 「雪舟の筆と称する竹に猫」
 「缶詰になっては横にもう這えず」


剣花坊は、「新川柳に対する私の主義主張」の中で、吉田松陰や高杉晋作の思想や行動に共鳴をし、彼らと同じく自由・平等主義であり尊皇主義でもあると述べています。

                                               
 「咳ひとつ聞こえぬ中を天皇旗」
 「民艸(たみくさ)のスグの真上の紫宸殿」

それぞれ大正天皇、昭和天皇の即位の直後に作られた川柳です。
皇室への畏敬が示されています。

b0076096_17191733.jpg                                                 

剣花坊は、「私は長州に生まれました」ということを誇りとし、
吉田松陰や高杉晋作への共感を、川柳改革のエネルギーとしました。

今回は、ご子孫宅や近しい親戚宅に伝えられた代表的な川柳を展示しています。

剣花坊川柳のエッセンスを感じ取っていただければ幸いです。
[PR]
by hagihaku | 2006-11-03 17:23 | 企画展示室より
<< 異郷の地のタカラガイストラップ ミニミニなまず!? >>