つづいて萩学展示室から「松下村塾の人びと」第3回目をお届けします。
今回は松下村塾の双璧の一人、久坂玄瑞が登場します。 これも一応、場所を説明しておきますと、さきほどの「書簡でたどる松陰の生涯」の左となりにあります。 ここもガラス越しですが、玄瑞ファンならたまらないといったぐあいに直筆の手紙を間近に見ることができますよ。 江戸への道中に松陰先生に送った手紙 久坂玄瑞書簡 萩博物館蔵(杉家寄贈資料) 江戸へ遊学に行く途中に松下村塾の師吉田松陰に送った手紙。安政5年(1858)2月24日と推定。この日の朝、阿月(柳井市)を出て遠崎(同)の妙円寺に「老師」の月性を訪ねたところ、不在のためすぐ立ち去ったと伝えています。また、「例の遠崎・柳井付近の喧嘩事」は静まり、傷死者はなく、「放火焼屋などの事もこれ無く、是は茅へ火を放つ位の事」などと述べ、これから岩国に行くつもりだと述べています。 なお付け加えですが、この手紙はよくみると、2段に分かれていて下の段は文章が天地逆に、つまりさかさまに書かれています。これは、もともと玄瑞が手紙を書いた時点では、半紙を二つ折にして書いたのですが、のちに表装する際、まっすぐに伸ばしてしまったからこうなったわけです。見づらいですが、あしからずご勘弁を。 江戸遊学中お金を送ってほしいと義兄に頼んだ手紙 江戸遊学中に萩の杉梅太郎に送った手紙。万延元年(1860)12月23日と推定。玄瑞は梅太郎・松陰兄弟の妹文と結婚しており、義兄弟の関係にあります。米国公使通訳ヒュースケンが暗殺されてから諸外国人が神奈川に引きこもっていることや、「物価騰貴、盗賊横行」など、江戸での見聞・体験を報告しています。また、藤原廣綱という刀鍛冶に「二尺三寸の刀」を新調させたので、金子5両ほどを送ってほしいと無心しています。 これらも読み下し(書き下し)文を添えておりますので、どうぞご安心ください(ただし後者の手紙は一部のみ)。 【久坂玄瑞略伝】 こちらの記事をご参考ください。 それと、この記事を最後まで読んでいただいた方だけにそっとお教えします。 4月10日から高杉晋作資料室でミニ企画展「高杉晋作と久坂玄瑞」を行う予定です。 いま、一坂特別学芸員が頑張ってますので、乞うご期待! (道迫)
by hagihaku
| 2007-03-17 12:38
| 常設展示室より
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