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「新しい時代と萩の人びと」③―杉孫七郎―
これで最後ですが、萩学展示室から「新しい時代と萩の人びと」第3回目をお届けします。
今回は、「長州ファイブ」より先にヨーロッパへ渡った長州藩士杉孫七郎です。

「新しい時代と萩の人びと」③―杉孫七郎―_b0076096_1323460.jpg場所はすぐにお分かりいただけると思いますが、人物の顔写真が40枚ぐらい載せられたパネルのあるケースに展示しています。

ただ今回は、資料の調査・研究がある程度進んできたこともあり、近代のコーナーにあえて幕末の志士時代の資料を展示するという形になってしまいました。

元治の内乱中に高杉晋作に送った手紙
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杉孫七郎書簡 萩博物館蔵(林茂香旧蔵) 写真は冒頭部分
萩の杉孫七郎が下関の高杉晋作らに送った手紙。慶応元年(1865)正月11日と推定。高杉(谷梅之助と変名)の挙兵により長州藩で内乱が勃発した当時、杉は「鎮静会議員」として諸隊と藩政府軍の間で休戦に尽力します。この手紙では「私共屯集の者は尊隊と議論は大同候えども、今日の所作は大きに相違仕り候。兎角過激の事は決して致し難く候」と述べ、高杉らの考えに賛意を示しつつ、武力に訴えたことを厳しく非難しています。

「新しい時代と萩の人びと」③―杉孫七郎―_b0076096_13134680.jpgなお、宛て名を見ると、谷梅之助と春山花輔の2名になっています。実は、前者は高杉晋作、後者は井上馨の変名なのです。こういう観点から見てもたいへん興味深い史料といえます。

《ワンポイント解説》元治の内乱
元治元年(1864)12月、高杉晋作が椋梨藤太の「俗論派」藩政府打倒を目指し下関で挙兵。翌2年(慶応と改元、1865)正月7日から、山県有朋の奇兵隊ほか諸隊が藩政府軍と大田・絵堂(美東町)で激しく戦います。14日、高杉は遊撃隊を率い大田の諸隊に合流。16日、高杉・山県率いる諸隊が藩政府軍を萩へ総退却させました。2月、内戦終結。椋梨らは更迭され「正義派」藩政府が成立しました。


「新しい時代と萩の人びと」③―杉孫七郎―_b0076096_13194155.jpg【杉孫七郎略伝】
天保6年~大正9年(1835~1920)
幕末の長州藩士、明治時代の政治家。周防国吉敷郡御堀村(山口市)生まれ。もと杉徳輔と称した。文久元年(1861)藩命により幕府の遣欧使節竹内保徳・松平康直らに従い、英・仏・蘭・独・露など西欧諸国を視察。帰国後は藩の重職を担い、四境戦争(幕長戦争)、戊辰戦争に活躍。明治維新後は宮内大輔、特命全権公使などを歴任しました。また能書家としても知られ、聴雨と号して数多くの書を残しています。
(写真は『山口県人物史』より)

(道迫)
by hagihaku | 2007-03-17 13:20 | 常設展示室より
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