宮本常一のまなざし、見島編2
9月21日、NPO学芸サポート班の皆さんと見島へ行ってきました。
その報告続編です。

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見島本村の東、ジーコンボ古墳群のすぐそば、ヨコーラの海岸です。
グリ石と呼ぶことがありますが、大小の丸い石が広がる海岸です。










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宮本常一さんの著作『私の日本地図』の中で紹介されている「濶(ま)」を確認することができました。
「濶(ま)」とは船着場のことです。
丸い石を組んで小さな船だまりが築かれています。
誰が何の目的で築いたのか、どのように使われたのか、素朴な疑問がわいてきます。






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ハングル文字の書かれた多数の漂着物に混じり、「西方丸」と書かれた小型の船が寄っていました。
8月15日の夜に流された精霊船です。
盆に帰ってきた先祖の霊を西方に送り、役目を終えて流れ着いたものです。
かつては、麦わらで作っていたとされます。







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長い竹を組んで作った「シイラ浮け」も流れ寄っていました。
以前、「君と竜宮城へ」のポスター、チラシを持って営業に回っていて目にとまり、このブログでご紹介したことがあります。

この竹で組んだイカダ状のものは漁具で、沖合いにイカリで固定されます。
このイカダ状のものの下には、小魚が集まり、その小魚を追ってシイラ(マンサクとも呼ぶ魚)が集まります。
そのシイラは、網や漕ぎ釣りで漁獲します。
海が荒れた際に、イカリ綱が切れたものと考えられます。



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八丁八反と呼ばれる広い水田地帯に多く設けられているため池です。
宮本さんが、見島の農業の特徴の一つとして多く記録しているものです。

「田んぼよりだ~いぶ低いが、どね~やって水を田に引くソじゃろーか?」
「あーそこも、あ~そこも、ため池の傍にゃー何か小屋があるが、ありゃー何じゃろーか?」
「小屋まで電線が行っちょらんかね?」
「あっ、ポンプか・・・」

確認は続きます。


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見島本村の東の墓地です。
丸い石を組んだ石垣が印象的です。
本村の港に入港する際にまず目に入ってきます。
これも、宮本さんは数多く写真に収めています。

「昭和35年(1960)には、ここは海じゃったんじゃねー・・・・」

確認は続きますが、残念ながら帰りの船の時間となりました。



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今回は、手始めということでもあり、宮本写真群については一部の確認にとどまりました。
しかし、様々な発見がありました。
見島の皆さんから興味深いことも教わりました。

本村港14:10発、宇津港14:30発、萩商港15:45着。
宇津観音は海上より参拝となりました。





「宮本常一のまなざしを追う」・・・つづく・・・・    (清水)
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by hagihaku | 2007-09-26 20:46 | くらしのやかたより
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