夏みかん物語の5
皆さん良くご存知のあの人物が、
 私にはあまりご縁のないあの人物が、
  実は夏みかんに深~いかかわりを持っていたのだぞー! の巻

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明治40年、1907年頃の萩三角州のパノラマ写真です。
夏みかんの経済栽培が始まっておよそ30年が経過しています。

この当時、城下の屋敷地にはたくさんの夏みかんが植えられ、余地が無い!という状態だったとされます。
写真右部の指月山から南に(左に)続く一帯が堀内地区で、旧制萩中学校校舎以外に目立つ建物は無く、夏みかん畑が広がっていることが確認できます。

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夏みかんは、市場に出回り初めてしばらくは大変高値で取引されました。
ある資料によると、当時、夏みかん3個から5個で、米1升と同じ値だったとされます。
また、江向のKさんによると、夏みかんが3本あれば、こどもを上級の学校に通わせることができたそうです。
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明治30年代から40年代には、生産額が、当時の萩町の年間予算の8倍!に上ることがありました。

現在の萩市の一般会計予算が約300億円ですから、2400億円!相当の生産額です。
(ちなみに、今年の山口県の一般会計予算が、約7100億円です。)
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夏みかんは、果物として食される以外にも、様々な形で利用されました。
クエン酸やオレンジ油なども生産されました。
現在も、皮を利用した菓子やマーマレード、果汁を利用したジュースやシロップの類が生産されており、萩土産として喜ばれています。
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夏みかんの皮菓子は、
・果実や綿のような内皮部分を取り除いた皮の表面を削り
・指くらいの大きさに切ったものを煮立てて苦味やアクを除き
・水洗いした後に砂糖を加えて再び煮立て、
・砂糖をかけて冷まして作ります。
明治20年頃に、浜崎町の菓子商 森重正喜 が考案したとされます。
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そして、そのような中(いよいよ本題でーす)、夏みかんマーマレードが作られるのです。

日本で最初に夏みかんマーマレードを作ったのは、な~んと、あの福沢諭吉なのです!!!
(記録に残っている範囲ではありますが・・・)

明治26年、1893年のことで、そのあたりのことが『福沢諭吉伝』第1巻に記されています。
福沢諭吉のもとへ送られてきた夏みかんを、おいしく食べ、皮を利用して「マルマレット」を作った旨、松岡勇記あての礼状にしたためています。
松岡は萩藩医家の出身で、福沢とは、大阪の緒方洪庵の塾で同窓でした。

礼状には、マルマレットの製法や、自宅で作って食したところ好評であったことが記されています。
パンにつけて食べると誠に結構!などとハイカラな生活が垣間見えます。

ということで、夏みかん物語はつづく・・・・・       (清水)
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by hagihaku | 2008-05-21 20:06 | くらしのやかたより
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