夏みかん物語の8
観光資源となっていった夏みかん・・・の巻

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萩の町の経済を支えていた夏みかんですが、やがて、果物の好みが変り、また、八朔、ネーブル、伊予柑など他の柑橘類が出回るようになり、以前ほどの需用が望めなくなります。
(実は、伊予柑のもとになった柑橘は萩地域で栽培されていた穴門柑です)

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1960年代になると、夏みかんや夏みかん畑は、萩の観光資源として注目されるようになります。
1960年、昭和35年に開催された「だいだい祭り」のポスターです。
新鮮な色使いで、初夏の萩のまちのさわやかさが表現されているように思います。
(誰がデザインしたか不明です。ご存知の方がありましたら、どうぞご教示下さい)

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明治維新の後に、萩という城下町がたどってきた歴史を物語るものとして、とりわけ、静かな旧い町並みや崩れかけた土塀からのぞく夏みかんが注目されました。

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今回の企画展準備にあたり、掘り起こすことができた観光ポスターです。
1970年から始まった国鉄の「ディスカヴァージャパン」キャンペーンの影響等もあり、多くの人が(特に若い女性が)萩を訪れました。
菊屋横町を走る自転車(レンタサイクル)のカゴに、(少~しわざとらしい)夏みかん!!

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「古き良き時代の名残」の「日本の街」を訪ね、「優しさに出逢い」、「美しい日本と私」を見つけた人たちは、その後、どうしておられるのでしょうか。
萩再訪をお待ちしております(忌憚のないご意見も)。

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1972年の山陽新幹線岡山開業、1975年の博多開業により、「ひかりは西へ!」到達。
萩を訪れる人は、年間200万人を超えます。
鉄道が萩まで敷設された大正末年から昭和初期、1920年代から30年代に続く、大観光ブームに小さな萩のまちが沸き、踊ることになります。

ということで、夏みかん物語は続く ・・・・・     (清水)
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by hagihaku | 2008-06-21 10:25 | くらしのやかたより
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