カテゴリ:くらしのやかたより( 239 )
ヨルダン国の「キンタロウ」
実は、学芸員某はヨルダン国で、あの「キンタロウ」を食べました。
萩だけでなく、今や全国的にもその名を知られるようになったあの「キンタロウ」です。
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ヨルダン国では、「スルタン・イブラヒム」と呼ばれています。
萩でおなじみのキンタロウ=ヒメジと比べると、心なしか面長にも見えなくはありませんが・・キンタロウです!
奮発して出向いたレストランの名前は、「スルタン・イブラヒム」。
そうです、スルタン・イブラヒムを名物料理とするお店で、地中海直送の新鮮なキンタロウがケースの中に氷とともに納まっていました。
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メニューを見ると…手書き・・・ということで、時価!高級魚!!
さすが、即日、地中海から直送だけあります。
名物料理としながら、「今日は無い」と、別の料理をすすめられることがあるそうです。
「何㎏食べるや?」と聞かれ、おそるおそる「250gぐらい・・・」
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シンプルに、オリーブオイルで揚げて食べるのが一般的とのことで、それを頼みました。
出てきたのは、まさに「キンタロウのから揚げ」でした。
味は…当たり前といえば当たり前ですが、正しくキンタロウのそれでした。
油もしつこくなく、身も程よく揚がっていてとても美味でした。

スルターンとはアラブ世界で君主の意味です。
なぜ、スルタン・イブラヒムと呼ばれるかについては明快な答えを得られませんでした。
お陰様で貴重な体験をすることができました。
一度、萩のキンタロウをオリーブオイルで揚げて食べてみないといけませんな。  (学芸員某)
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by hagihaku | 2015-05-26 18:05 | くらしのやかたより
ヨルダン国における萩博物館の技術協力、その3
今回の派遣では、サルトまちじゅう博物館の中核施設における「情報センター」の整備も行いました。
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サルトを訪れた人に最初に訪ねていただき、「まち」の概要や「まち歩き」の楽しさを伝える仕組みを、現地スタッフと検討しました。
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もともと博物館に在った地形模型を移動し、その背景に、模型の中の丘に立った時に見えるパノラマ写真を配してみました。
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併せて、初めての来訪者にどのような情報を持ち帰っていただくのかを、何度も何度も吟味しました。
そして、展示を試作し、実際に中核博物館スタートの「まち歩き」ツアーを試行してみました。
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ローカルガイドの人たちによる、「まち歩き」による「まち」の楽しみ方ガイダンスの様子です。
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サルトを訪ねた方々が何に興味を持たれているのかも察知つつ、行程をコーディネートします。
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今回は、アラブの伝統的な暮らしが歴史建造物とともに息づいていることや、ムスリムとクリスチャンの融和ハーモニーを体感するという「まち歩き」でした。
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隣接した教会とモスクです。
サルトのハーモニーを象徴する景観です。
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不慣れながらも、訥々としたガイディングはなかなか好印象です。
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赤い屋根の建物が、サルトまちじゅう博物館の中核博物館として整備されつつあるアブジャベール邸です。
中核博物館をスタートし、「まち」の魅力を再発見するトレイルを巡り、そしてサルトまちじゅう博物館を体感する仕組みが、少しずつ調い始めています。
萩博物館(萩まちじゅう博物館中核施設)のささやかな技術協力です。   (清水)
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by hagihaku | 2015-05-22 13:34 | くらしのやかたより
ヨルダン国における萩博物館の技術協力、その2
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ヨルダン国のサルト市では、萩のまちじゅう博物館にならった町づくりや、中核博物館整備、持続的な観光の創出が進められています。
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萩市からは、学芸員某と、景観管理の専門職員が現地に赴き、様々な技術協力を行っています。
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先日、中核博物館のエデュケーターとリサーチャー、そしてローカルガイドとともに、萩でもしばしば行っている「古写真で再発見」ワークショップを実施しました。
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古写真の撮影場所を探し出して現況を記録し、その過程で、変わったもの、変わらないものを見出し、町の資源や魅力を再発見するというものです。
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写真は、誰もが一目見て理解することがでる資料です。
そして見方によっては、様々な情報を引き出すことができる良い資料なのです。
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まずもって、撮影場所を探し出すことは楽しい体験で、誰もが平等に参加できます。
今回も、予想通り、大いに盛り上がりました。
あの家のあの窓!あの建物とあの建物!120年前と変わってないぞ!あそこも! ・・・
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道行く人を巻き込んで、撮影場所を探します。
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その中で、町の変化について気づくことができますし、重要な情報を得ることができます。
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町の中央に泉が位置していたことや、男性・女性・動物用にそれぞれ泉があったこと、水を汲んで丘の家まで担いで運んでいたことなど、次から次へと興味深い町のストーリーを聞くことができました。
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それやこれやで盛り上がり、結局、当初用意した古写真の半分しか場所を特定することができませんでした。
レヴューでは、変わらず存在する伝統建築が多いことに驚いたとか、それらに住み続けながら今に伝えていることを誇りに思うといった感想も聞かれました。
残りは自分たちで探す!
こどもたちと、再発見ワークショップを実施してみたい!
ガイドを実施する際の資料として古写真ファイルを作ろう!
なかなかの反響でした。
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別の日にローカルガイドの人たちの待機場所の前を通ると、古写真を前に、熱心に、地元の年輩者と話し込んでいました。
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また一つ、地域の人たちによる地域の再発見が進み始めました。  (学芸員某)
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by hagihaku | 2015-05-16 17:04 | くらしのやかたより
ヨルダン国における技術協力
2015年5月10日、ここヨルダン国では23時を回りました。
学芸員某は、JICA技術協力プロジェクトに派遣され、中東のヨルダンに滞在しています。
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ヨルダン建国時に一時期首都となったサルトにおいて、萩の「まちじゅう博物館」に倣ったまちづくりや中核博物館の整備、持続的な観光創出などのお手伝いをしています。
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首都アンマンから北西へ約30km、サルトにホテルが無いため、毎日、車で通っています。
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収穫直後のひよこ豆(ホンムス)を販売していました。
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ひよこ豆は、ヨルダン国の人々にとっては大変に重要な豆です。
こちらでは、乾燥させたひよこ豆を煮てすり潰したものを、薄い円盤状のパンとともに常食します。
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収穫時季には、フレッシュなひよこ豆を生でも食べます。
試してみましたが、ほの甘くクリーミーでした。
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技術協力プロジェクトへの派遣は、今回が第6次となります。
サルトにおける「まちじゅう博物館」への取り組みは、少しずつではありますが進展しつつあります。

(清水)
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by hagihaku | 2015-05-11 06:09 | くらしのやかたより
海を拓いた萩の人々、23 ~ 恵みの海の行方 ~
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「海を拓いた萩の人々」展を終え、はや一月が過ぎました。
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展示が終了すると、余韻に浸ることもなく、ただちに展示の撤収を行います。
2週間のインターバルで、次の企画展示を開幕させるためです。
そして、できる限り速やかに、借用資料の返却に回ります。
上の画像は、125年ぶりに里帰りした「山口県改良鱶延縄漁船(=鶴江船)」の雛形を、市立函館博物館に返却に上がった時のものです。
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借用時に作成した調書と見比べながら点検を済ませ、無事に収めていただきました。
担当学芸員は、無事に返却を終え、支払いや報告が終わるまでは気が休まりません。
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「山口県改良鱶延縄漁船」雛形は、収蔵庫で、しばしの眠りにつきます。
水産陳列場に始まり市立函館博物館まで、よくぞ125年間も、大切に保管されてきたものだと思います。
今を様々な方法で切り取って資料化し、それらを未来に引き継ぐということが、博物館の最も重要で基本となる役割であるということをを、今回あらためて認識しました。
人・モノ・情報を結びつける博物館のネットワークの大切さも、再認識しました。
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資料返却を終えた日、函館では、平年より9日早い桜の開花宣言が出されました。
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展示の最終コーナーです。
萩地域が海に恵まれていること、そして恵みの海を継続的に利活用しつつ継承していむことに、少しでも思いをいたしていただければということで、広がる海をのぞむ大パノラマ写真を展示しました。

藻場の再生や資源保護、種苗の育成放流などが続けられている萩地域です。
明らかな準備不足で、それらを紹介することができませんでした。
申し訳ありません。

今回の企画展示の準備の中で、自身、地域の博物館の学芸員として、今後取り組まねばならないことが一つ見えてきたように思います。
たくさんの方々にお世話になり、宿題も少なからずいただきました。
少しでも地域の再発見を進めることができればと思います。

ということで、「海を拓いた萩の人々」展は、次なる開催機会に向けて ・・・ つづく ・・・

(清水)
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by hagihaku | 2015-05-09 01:25 | くらしのやかたより
海を拓いた萩の人々、22 ~ 海を拓いた萩の人々の航跡 ~
萩地域では、昔から延縄漁が盛んでした。
その延縄漁において、東シナ海や黄海の漁場開拓が進むのは昭和20年代の後半、1950年代のこととされます。
李承晩ラインが設定されて、萩地域でも多数の漁船が拿捕されるという大事件が起こってからのことです。
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当初は発動機船で、「五島列島男女群島を起点に南西に二昼夜走り!」、「水深を測りながら浅い方へ帰ってきた」というような出漁が行われてきたことは、このブログでも紹介しました。
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昭和47年3月、山口県のフク延縄やアマダイ延縄などの遠洋延縄協議会発足を伝える新聞記事です。
協議会の設立趣旨は、加盟漁船が秩序をもって操業し、資源保護・育成を図ろうというものでした。
当時、県下の加盟漁船は264隻、その内、越ヶ浜が99隻、玉江浦が69隻、大井湊が16隻など、萩・阿武地域の漁船は181隻を占めていました。
東シナ海や黄海の漁場を「萩の人々」が拓いていったことが見えてきます。
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今回の展示では、フク延縄漁操業中の写真もお借りして展示することができました。
どのように操業が行われたのかが伝わる貴重な記録です。
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そして今回は、越ヶ浜の延縄漁船船主船頭であったAさんからお借りした貴重な漁業史料も展示・ご紹介することができました。
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20数年間、出漁時には毎日欠かさず記録された操業日誌と、それと対応する操業図です。
いつ、どこで、どのように操業したか、海底の状況や近辺の同僚船を含めた漁の状況などが、几帳面な文字で書き込まれています。
「時化て漂泊中」というような記述もありますが、文字に乱れがないことに感心してしまいます。

Aさんは事もなげに、「操業日誌を書き、また操業図を作成するのは、船頭としては当たり前のこと」、「自身の覚えのためでもあるが、後日、だれか後進の役にたつこともあろうと思い作成した」ということを仰いました。

「海を拓いていった人々」の志に触れ、感動しました。
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スケッチブックを用い、手書きで作成された527漁業区の操業図の部分です。
このような操業図が、漁業区ごとに何枚も作成されています。
分厚い「海拓史」を編むことができそうです。
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因みに527漁業区は、赤い円で示した辺りになります。
「この辺りは自分の庭みちょうなもんですいの」とAさん。

「海を拓いた萩の人々」に深い敬意を抱いた今回の企画展でした。

・・・ つづく ・・・   (清水)
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by hagihaku | 2015-05-03 12:15 | くらしのやかたより
海を拓いた萩の人々、21 ~ 市民の皆さんに参加していただいた展示 ~
5月2日午前5時、某国では夜が明けようとしています。
日本時間では午前11時です。
学芸員某が某国にいることについては、またあらためて報告します。

さて、「海を拓いた萩の人々」展についてです。
展示資料の返却等で、随分と更新を怠っておりました。
そうなのです、実は4月5日をもって、企画展示は終了致しました。
期間中に展示の最終コーナーまでご紹介ができませんでした。
申し訳ありません。
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学芸員某が担当する企画展示は、毎回、何がしかの形で市民の皆さんに参加していただいています。
それは、市民の皆さんに、住まいする萩について、一緒に再発見していただきたいと考えるからです。
展示導入部分の櫓は、玉江浦の漁業者の皆さんのご協力で展示ができました。
多くの情報も寄せていただきましたし、多くの皆さんが企画展に足を運んで下さいました。
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その傍らの展示は、NPO萩まちじゅう博物館学芸サポート民具班の皆さんの手によるものです。
日頃、ボランティアで民具の受入れやクリーニング、分類整理を行って下さっています。
今回は、展示テーマにかかわる道具について、活動成果の一部を展示していただきました。
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フライキ(大漁旗)や漁具・船具の展示については、越ヶ浜や玉江浦、三見浦の漁業者の皆さん、そして山口県漁協の越ヶ浜支店や玉江浦支店のご協力をいただきました。
爽快で愉快な体験談も随分とお聞きしましたし、貴重な情報を集積することができました。
感謝感謝です。
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海を拓いて行った漁船を多数造った船大工さんにもご協力をいただきました。
木造船の厚さ6㎝の舷側板に、羽魚(カジキマグロ)の吻が突き刺さっていものを修繕したことがあると仰っていました。
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資料調査で漁協支店に伺った折りに、たまたまお会いした元延縄漁船の船頭のAさんには、「フク延縄やアマダイ延縄漁の変遷が分かるように漁具を作ってあげよう」と、大変に有難いお申し入れをいただきました。
そして、「あたくしたち(私達)の携わったことが記録として残るのであれば、これほど嬉しいことはない」と、それらの漁具を寄贈して下さいました。
このAさんからは、大変に貴重な漁業史料をご出展いただいたのですが、それについては、またご紹介しましょう。

多くの市民の皆さんに参加していただき、支えていただいて開催できた「海を拓いた萩の人々」展です。
展示期間中に、このブログでそのことをご紹介し、御礼申し上げられなかったのは、学芸員某の怠慢です。
大変申し訳ありません。

・・・ つづく ・・・   (学芸員某こと清水)
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by hagihaku | 2015-05-02 12:39 | くらしのやかたより
海を拓いた萩の人々、20 ~ 開拓者たちの誉れ ~
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海を拓いた萩の人々の活躍を示すフライキ(大漁旗)です。
※ ホームページ → 「萩博の収蔵品(情報の引き出し)」 → 「萩の民具」 → 「フライキ」
玉江浦や越ヶ浜の漁業者の皆さんは、東シナ海や黄海などの漁場開拓に赴き、フク(河豚)やアマダイの延縄漁で目覚ましい水揚げを記録していました。
右の大漁幟(旗)は、下関中央市場から大漁を祝って贈られたものです。
昭和30年代に、一回の水揚げが100万円を超えるとこの幟が贈られたそうです。
50万円を超えると中央や左のフライキ(大漁旗・優漁旗)が贈られたそうです。
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漁場が近い福岡魚市場や長崎魚市場にも水揚げしていたことから、それぞれの魚市場から贈られたフライキも数多く伝えられています。
長崎魚市場のフライキの前に展示しているのは、越ヶ浜の造船所で制作されたフク・アマダイ延縄漁船の模型です。
昭和50年代の最盛期、越ヶ浜からは、このような延縄船104隻が東シナ海や黄海に出漁していたそうです。
一隻に8人程度が乗り組みますから、越ヶ浜だけで、海の開拓者は800人に上ったことになります。
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越ヶ浜においては、戦後の昭和20年代半ば以降、李承晩ライン設定などもあって漁場を黄海や東シナ海に求めるようになったとされます。
自らの船の位置を把握できる航法装置が導入されるのは昭和30年代に入ってからだそうです。
それ以前は、コンパスを頼りに、例えば「五島列島の男女群島を起点に、南西に2昼夜走り!!」といった大胆な(大雑把な)出漁を行っていたそうです、焼玉エンジンの船で!
そのころに大いに活躍したのが、レットと呼ばれる用具です。
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レットは鉛の錘を投下して海の深さを測る道具です。
「二昼夜走り」で出漁した漁場からどうやって帰ってきたのかと尋ねたところ・・・
海の開拓者であるお父さんたちは、事も無げに、
「出漁した時の反対に針を立てて(磁針で方角を定めて)帰りゃ~ええソいや~」
(エッ??? 自船の位置が分からないのに・・・出発点が不明で目的地に到達できるんですか???)
「時々船をとめてのぅ、深さを測って浅うなる方へ帰って来たソいや~。太平洋に向けて海は深うなるけ~の~」とのこと。

その際に用いられたのがレットなのです。
錘の底は窪んでいて、ここにグリスを塗って投下すると、海底に着いた際に、底の砂や土、貝殻などが付着し、底質を知ることができます。
海の深さと底質とを海図で確認して帰ってきたとのことですが・・・何とも大胆な航法です。
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赤丸で囲んだ五島列島男女群島から、南西へ二昼夜走り!の漁場は、実は、この漁区図の外になります。
帰路、進路を北に取りすぎて朝鮮半島に達した話や、陸地は見えたが場所の見当がつかず、沿岸で操業中の漁船に近づいて、「ここはどこかいの~」と尋ねたら長崎の野母崎の沖だった話など、楽しい(少し恐ろしい)体験談には事欠きません。
海を拓いた萩の人々の大胆さやたくましさには脱帽です。

・・・ つづく ・・・   (清水)
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by hagihaku | 2015-04-16 20:48 | くらしのやかたより
海を拓いた萩の人々、19 ~ 海の開拓者たちを育んだオシクラゴウ ~
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萩市玉江浦に伝わる和船競漕「オシクラゴウ」での競漕中の写真です。
平成5年(1993)までは、4組の青年宿(若者宿)を代表した4艘の和船が、海上はるか往復2里(約8㎞)で熱い競漕を繰り広げていました。
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玉江浦のオシクラゴウは、例年、地区内に祀られる厳島神社の祭礼において催行されています。
かつては旧暦の5月11日、現在は6月第一日曜日に行われることになっています。
祭りが近づくと、上組、中間組、角屋組、下組、それぞれの青年宿を代表する漕ぎ手の名前が貼り出されました。
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青年宿(下組)の前に誇らしげに飾られた獲得トロフィーです。
以前は、漁業者となる若者はすべてこの青年宿に加入し、食事をとる時以外は宿に寝泊まりしながら団体で生活しました。
漁具の調え方など漁業上必要な知識を習得し、船の係留や海難救助、祭礼奉仕等々、若い力が必要とされることに携わりました。
宿を終えた若者は、一人前の漁業者と認められ、やがて中堅の乗組員となり、船頭や漁業の指導者となっていきました。
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競漕船の整備を行う青年宿OBのお父さんたちです。
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海を拓いていったお父さんたちは、若いものの面倒を実によく見ます。
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海で暮らす人たちの気風なのかもしれませんが、後輩たちへの助成は大変に熱心です。
日頃から、海の上で力を合わせて漁を行う姿が目に浮かびます。
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競漕に出発する船を船溜まりの岸で送る人、人、人です。
それぞれ50人程度が加わっていた青年宿において、オシクラゴウの漕ぎ手に選ばれることは、大変に名誉なことだったそうです。
櫓を押す力が強いだけでは選ばれず、将来リーダーになれるような人物が推されたということです。
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いかがでしょうか?
人、人、人、屋根の上にも人。
若者たちはオシクラゴウの漕ぎ手に選ばれるよう精進したとされます。
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応援にも熱が入ります。
このオシクラゴウの行われる日には、地域の人たちが家々を訪ねあい、それはそれは大賑わいとなります。
漕ぎ手に選ばれた若者の家では、あらかじめ畳を裏返してその上にシートを敷き、乱入?に備えたそうです。
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そのような中、出発式です。
「奴を振る」と表現されますが、船板を叩く音に合わせて、赤い襦袢を着た若者が華やかに幣を操作します。
競漕は、玉江浦漁港沖から北西に向け漕ぎはじめ、沖の浮標に立てられた旗をとって帰ってきますが、風や波の状況によっては、往復で1時間近くを要することもあったそうです。
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競漕復路の様子です。
カメラの視野に納まらない所で、たくさんの漁船が旗を振りながら熱く応援を続けます。
時に、熱くなり過ぎることもあったやに聞きました。
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競漕を終えた船と若者を迎える人たちです。
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表彰式の様子です。
誇らしげな若者と、やがて地域や漁業を担っていくであろう若者を見守る人々のあたたかいまなざしが印象的です。

文書資料によれば、船競漕は1700年代の終わりごろには行われていたことが確認されています。
ただ、オシクラゴウの起源については伝えられていませんし、良くわかっていません。

オシクラゴウの漕ぎ手に選ばれた若者たちは、やがて地域や漁業において中堅となり、指導者となってまた若者を育んでいったそうです。
そのことを考えると、オシクラゴウは、長年にわたり、玉江浦という地域が地域の後継者を自ら育成する上で、大変重要な役割を果たしていたのではないかと思われるのです。

海の開拓者たちは、オシクラゴウによって育まれてきたのです。

スイマセン、長くなりました。    ・・・ つづく ・・・    (清水)
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by hagihaku | 2015-04-12 16:59 | くらしのやかたより
海を拓いた萩の人々、18 ~ 海の開拓者たち、萩市玉江浦のフカ漁 ~
4月11日(土)、折角の桜の花を打った雨がようやく上がりました。
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萩博物館特別展「海を拓いた萩の人々」展は、お陰様で盛況のうち4月5日(日)に会期を終えました。
会期中のご来場者数は、20,922人を数えました。
また、年間の萩博物館入館者数は、前年比107%の95482人となりました。
わざわざのお運び誠にありがとうございました。
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何かと公私ともに事が多かったため、会期中に展示のご紹介を終えることができませんでした。
申し訳ありません。
以下、展示ご紹介のつづきで、「海の開拓者・萩市玉江浦のフカ漁」についてです。
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昭和40年代、1970年頃まで用いられたフカを釣るための鱶延縄です。
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北海道大学水産学部水産科学館に保管されていた明治期の山口県鱶延縄漁具です。
いかがでしょうか。
幹縄のより方が異なっていましたが、構造としてはほとんど変わりません。
玉江浦では、明治期に先進漁具として全国に紹介された鱶延縄を、ずっと使い続けていました。
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玉江浦、鶴江浦からは、江戸時代より、フカヒレ(鱶鰭)生産を目的に、韓海へ鱶延縄漁で出漁を続けてきました。
巨済島、巨文島の近海が主漁場で、荒海を越えての出漁の中で漁船の改良が進みました。
その後、漁場は東シナ海へと広がっていきます。
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延縄の幹縄を製造するために用いられたカワカミソと呼ばれる川上地域で生産された苧麻(苧、右側)です。
細く裂いたカワカミソの繊維を紡いで糸にして、それを多数撚り合わせて太い糸・縄としました。
男たちが出漁中の女性の仕事でした。
その意味では、女性たちも「海を拓いた萩の人々」であり、「海の開拓者」です。
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昭和40年代、1970年頃まで行われた鱶延縄漁ですが、今回、玉江浦のお父さんたちから興味深いお話を伺うことができました。
東シナ海に出漁していたころ(70歳代のお父さんが若いころ)のことです。

中国大陸に近づくと「べっぴんさん」と呼ばれる白いアマダイが良く釣れていたので、鱶延縄漁の前にそれを釣り、ぶつ切りにして餌として用いていたそうです。
「血が出るもんなら何でもエエんじゃぁ」とのことでした。

アマダイですよ、アマダイ!
高級魚アマダイが、当時は鱶を釣るための餌だったのです!
それだけ鱶(フカヒレ)が高値で取引されたということなのかもしれません。

驚きました。

・・・ つづく ・・・   (つづく)
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by hagihaku | 2015-04-11 15:17 | くらしのやかたより