カテゴリ:くらしのやかたより( 239 )
海を拓いた萩の人々、8 ~ 韓海を拓いていった萩の人々 ~
以前、明治時代の一時期、全国のフカヒレ生産量の半分以上を山口県が占めていたことがあるとご紹介しました。
江戸時代から、鶴江、玉江の漁業者は韓海に出漁し、鱶延縄で鱶を漁獲して鱶鰭を生産していました。
江戸時代からの韓海出漁操業の記録が、第4回内国勧業博覧会の水産部門で最高賞を受賞したことにも触れました。
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岡十郎が創設にかかわった近代捕鯨会社「日本遠洋漁業株式会社」は、仙崎(現長門市)を本拠地としていました。
しかし操業の基地は、韓国のウルサン(蔚山)に置き、韓海において多数のクジラを捕獲しました。
岡十郎は、福澤諭吉の示唆に従い、韓海の水産資源に注目した活動を展開しました。
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日本に近代捕鯨が導入された頃の捕鯨船が描かれた奉納絵馬です。
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描かれているのは、岡が会社を興した後に、同じく仙崎で創設された「長門捕鯨株式会社」の捕鯨船です。
(なぜそれが分かるのか?この辺りについては、2011年6月1日の「萩博ブログ」をご参照ください)
ご注目いただきたいのは、右上方に記された奉納者の情報です。
「鶴江 藤山某」とあります。
鶴江の人が捕鯨船に乗り組み、そしてクジラの捕獲を感謝し、または捕獲を祈願して奉納した絵馬と考えられます。
この長門捕鯨株式会社は、対馬を基地に、やはり韓海で操業を行っていました。

いかがでしょうか。
前回ご紹介したノルウェー人砲手との契約を記念した写真にも、鶴江の吉村某氏、須子某氏が納まっていました。
岡十郎は、早くから鶴江の人々とのかかわりがあり、韓海の情報を得ていたと考えられます。
そして、韓海で操業する近代捕鯨の捕鯨船には、江戸時代から韓海に出漁し、韓海の海況に詳しい鶴江の出身者が乗り組んでいたのです。

韓海を拓いていった萩の人々が見えてきます。

・・・ つづく ・・・   (清水)
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by hagihaku | 2015-02-24 19:21 | くらしのやかたより
海を拓いた萩の人々、7 ~ 近代捕鯨の先覚者・岡十郎 ~
近代日本において、捕鯨業とトロール漁業とは、総合的な産業として発展を遂げてきました。
漁業の近代化において、大きな役割を果たしたとされます。
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その捕鯨業を牽引したのが、萩市福井の岡十郎です。
岡十郎は、明治3年(1870)に現阿武町奈古の西村家に生まれます。
長じて明治24年(1891),福井下村(現萩市福井下)の酒造業岡家の養子となります。
慶応義塾に学び、学を修めて帰郷する際に、福澤諭吉より「郷里の長門国は韓海(朝鮮半島近海)と一衣帯水の地にあり、韓海の水産業振興が緊要であり有意義である」との示唆を受けたとされます。
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家業の酒造業を継いでいた岡ですが、明治30年(1897)には県会議員に当選、。
翌明治31年(1898)には、日韓通商規定により設立された山口県通漁組合の組合長に就任しています。
そして明治32年(1899)、三隅村(長門市)の山田桃作とともに、仙崎(長門市)を本拠に、汽船と捕鯨砲を用いるノルウェー式捕鯨法を導入した近代捕鯨会社「日本遠洋漁業株式会社」を創設しました。
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会社は明治32年7月に創設されます。
創設準備を進めていた同年4月、岡十郎は長崎において、ノルウェー式の捕鯨法に熟達したノルウェー人砲手をいち早く採用したとされます。
これまでそのことは文字記録として伝えられていましたが、今回の特別展準備の中で、それを具体的に証す資料を見出すことができました。
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ノルウェー人砲手ピーターソンとの契約が調った際に撮影された記念写真です。
後列、右から二人目が岡十郎で、この時、数え年31歳です。
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写真の裏面には、撮影の経緯が墨書されています。
それによると、岡は4月4日に長崎に赴き、交渉の後4月8日に契約を調えて記念の写真を撮影し、その後、汽船「台中丸(大阪商船汽船か)」で山口県へ帰ったことが分かります。
上野写真師写すとありますので、上野彦馬の写真館における撮影と考えられます。
近代捕鯨に取り組むダイナミックな動きが見えてきます。

共に写真に納まる吉村與三郎と須子亀松は、前に漁業先進地として紹介した鶴江の人物です。
両名は、記録によると明治初年から韓海において水産業に取り組んだ人物とされます。
なぜここで一緒に写真に納まっているのか、大変興味が持たれます。

ちなみに岡十郎は、ひと月後の5月にノルウェーへ渡り、捕鯨船や用具の調達を行っています。
近代捕鯨の先覚者は、行動の人でした。

・・・ つづく ・・・  (清水) 
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by hagihaku | 2015-02-19 09:27 | くらしのやかたより
海を拓いた萩の人々、6 ~ 韓海開拓を牽引した萩の人々 ~
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明治35年(1902)の「防長新聞」記事です。
「韓海の漁利」の見出しで、前年に山口県から韓海へ出漁した漁船数がまとめら、漁獲高が報じられています。

玉江浦からは鱶・鯛漁で59隻、鶴江浦からは同じく鱶・鯛漁で54隻が出漁しています。
県下の出漁船数が278隻ですから、その4割を萩地域が占めていたことになります。
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明治時代の一時期、フカヒレ(鱶鰭)の生産量において、山口県は全国の半分以上を占めていたことがあります。
玉江浦や鶴江浦は、その鱶を延縄で漁獲する漁業最先進地として、全国にその名を知られました。
生糸同様に鱶鰭は、重要な輸出品でした。
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主な漁場は、巨済島や巨文島の周辺から済州島にかけての韓海(朝鮮半島近海)でした。
明治28年(1895)の第四回内国勧業博覧会において、玉江浦の漁業総代が出展して最高賞を受賞した韓海操業記録によれば、玉江浦からの韓海出漁は、江戸時代の文化元年(1804)からとされています。
韓海の漁場開拓の牽引したのは萩の人々なのです。
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明治36年(1903)の第五回内国勧業博覧会賞状と、明治30年(1897)の第二回水産博覧会の褒状です。
鶴江浦から出品された鱶鰭や鱶延縄(漁具)の優秀さが認められての授賞です。
それらは韓海の漁場開拓の中で培われたもので、優れた技術や産物は全国に紹介され、各地の産業を興すことに役立てられました。

・・・ つづく ・・・   (清水)
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by hagihaku | 2015-01-25 11:22 | くらしのやかたより
海を拓いた萩の人々、5 ~ 北海道の海を拓いた萩の船、その2 ~
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明治中ごろの撮影と考えられる玉江浦船溜まりの写真です。
手前の比較的小型の漁船の背景に、大型の漁船が認められます。

函館博物館所蔵の目録資料には、明治23年(1890)12月の年月日が記されています。
他の資料によると、函館水産陳列場は、函館の「博物場」の一角に、水産物の標本や漁業関係資料を展示することを目的に新設されることになり、明治23年4月に竣工しています。

これに記された「改良漁船雛形」が、現在保管されている山口県鱶延縄漁船雛形だとすれば、この雛形が制作年されて函館にもたらされたのは明治23年以前ということになります
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明治28年(1895)、京都において開催された第4回内国勧業博覧会の会場図です。

市立函館博物館学芸員のHさんからの連絡を受けて小職は、原田儀三郎が出展した可能性のある内国勧業博覧会や水産博覧会関係の記録を、逐一確認するということに着手しました。

8か月後・・・『第三回内国勧業博覧会出品目録』をようやく確認したところ、第4部水産の項に、「改良漁船雛形」を、「阿武郡山田村 原田儀三郎」が出品した旨の記載を見出したのです!
鶴江浦とともに鱶延縄漁業の先進地としてご紹介した玉江浦は、この山田村に含まれます。

第3回内国勧業博覧会は、明治23年(1890)4月1日から7月31日まで、上野公園において開催された博覧会で、期間中100万人を超える人が観覧に訪れています。
またこの回から、本館の他に特に水産館が設けられ、日本国が水産業の振興に力を注いでいたことが知られています。
函館水産陳列場の新設と時期的には合致します。
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ちなみに、この「改良漁船雛形」は、博覧会において「二等進歩賞」を受賞していたことも判明しました。
「褒状薦告文」には、「船体ノ局部ニ改良ヲ加へ波濤ノ進入ヲ防キ進行ノ速度ヲ増ス進歩甚タ嘉賞ス可シ」とありました。

また、『第三回内国勧業博覧会審査報告摘要』には、「数十年中国瀬戸内ノ漁者ハ近海漁業ノ漸ク衰頽セルヲ以テ馬関ヲ経玄海ヲ踰ヘ對馬朝鮮ニ遠航シテ鱶釣等ニ従事シ従ヒテ漁船改良ノ必要ヲ感シ漸次其構造ヲ堅牢ニシテ空気室ヲ設ケ風波ノ際転覆の患を防クニ至レリ今回出品ノ山口県改良延縄漁船即チ是ナリ」とあり、山口県改良漁船の優れた点が紹介されていました。

そして、その他の博覧会関係資料には、出品物が様々な機関や個人に求められ、各地にもたらされて紹介され、産業振興に役立てられたことも記されていました。
実は、函館博物館所蔵の目録資料中には、少し異なった時期に水産陳列場に出展された展示物に関して「第三回内國勧業博覧會ニ於テ購入シタルモノニシテ明治二十四年七月北水協會ヨリ出品ニ付之レヲ陳列セシム」との記述が見えます。

いかがでしょうか。
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北海道大学水産学部の水産科学館に収蔵される明治期の「山口県鱶延縄」漁具です。
明治41年、出品山口県と記された札が付されていました。
明治41年(1908)、北海道小樽において開催された北海道水産共進会に、山口県から出品されたもので、それが現在に伝えられたものです。

明治25年(1892)開催の「北海道物産共進会」を総括した『北海道物産共進会報告』(北海道庁編)という資料があります。
これによると、北海道沿岸にはアオザメが多数棲息しているが、これを漁獲利用しないのは非常な「敗利」であるとされています。
そして最近ようやく漁獲するようにはなったが、共進会出品の鱶鰭生産技術には難があると指摘しています。

 明治20年代以降は、北海道の海の開拓が、積極的に進められようとしていた時期と考えられます。
そのような背景の中で鱶延縄漁業の導入が図られ、先進的漁具の一つとして、鱶延縄漁に用いる山口県改良漁船が函館にもたらされ、鱶延縄漁具が小樽において展示紹介されたのではないでしょうか。

目的は、清国輸出品となる海産物の増産!

萩の技術や萩の人々が、北海道の海を拓くことに関わってきたことが、次第に見えてきました。

・・・ つづく ・・・  (清水)
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by hagihaku | 2015-01-12 17:16 | くらしのやかたより
海を拓いた萩の人々、4 ~ 北海道の海を拓いた萩の船 ~
明治16年(1883)、第一回の水産博覧会が東京の上野公園で開催されています。
水産業の振興を図ることが目的の博覧会でした。
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明治19年(1886)には、全国規模で漁具や漁法を調査し集大成した『日本水産捕採誌』が、当時の農商務省水産局において編集されます。
その中で、萩市玉江浦や鶴江浦において伝統的に行われていた鱶(鮫)延縄は、全国でも最先進の技術であると紹介されます。
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一方、殖産興業を目的とした内国勧業博覧会が、明治期には都合5回開催されます。
第一回が明治10年(1877)、第二回が明治14年(1881)、第三回が明治23年(1890)に開催されますが、この第三回内国勧業博覧会においては、本館の他に独自に水産館が設けられています。
そして第四回が明治28年(1895)に京都において、第五回が明治36年(1903)に大阪において開催されます。
実は、第一回水産博覧会や第三回の内国勧業博覧会以降、萩の水産技術や水産物は全国的に注目を集め、萩は水産先進地として知られるところとなります。
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さて、そこでこの北海道函館に存在する古い山口県の漁船の雛形です。
誰が制作し、いつ、どのような経緯で彼の地にもたらされたのでしょうか。
残念ながら度々所管が変わったこと等により、市立函館博物館には漁船雛形にともなう情報が乏しかったのですが、私の中には、制作者としてある「萩の人」の名前が思い浮かんでいました。

原田儀三郎という人物です。
原田儀三郎は山田村(玉江浦を含む)の人で、様々な記録によると、この原田儀三郎によって改良が進められた「山口県改良漁船」は、優秀な漁船として明治期に全国に紹介され、導入が図られていたのです。
そのことを市立函館博物館の学芸員Hさんに伝え、北海道に古い萩の漁船雛形が存在することが分かったことに大満足して萩に帰ってきました。
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帰ってみると、追いかけるようにHさんから情報がもたらされていました。
それは、函館博物館所蔵の古い目録資料「明治二十三年十二月 水産陳列場物品目録」の中に、「改良漁船雛形」という陳列資料名と、原田儀三郎の名前とを見出したというものでした。

・・・つづく・・・  (清水)
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by hagihaku | 2015-01-10 17:43 | くらしのやかたより
海を拓いた萩の人々、3 ~ 海を拓いた萩の船 ~
2015年1月3日、萩は昨日までと打って変わり穏やかな晴天となりました。
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萩博物館「海を拓いた萩の人々」展のご紹介を進めます。
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「海を拓いた萩の船」のコーナーです。
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今回の展示における目玉資料の一つである「山口県鱶延縄漁船雛形」です。
船長2メートルを超える大きな漁船模型です。
市立函館博物館所蔵資料で、お借りして遥々空路移送し展示ました。
125年ぶりに、北海道から萩に里帰りしました。
実は、この明治期の漁船雛形が萩の漁船であり、しかも125年前に北海道にもたらされたものであるということは、今回の展示の準備の中で明らかになりました。
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明治30年代、今から120年近く前に撮影されたと考えられる萩市鶴江の漁船の写真です。
一部地域では「鶴江船」と呼ばれ、また「山」口県改良漁船」として全国に紹介された歴史を持ちます。
船とともに写真に納まっているのは鶴江の若連中で、船上には青年たちが立っています。
実は、この船上に立つことができるというのが、この鶴江船・山口県改良漁船の大きな特徴なのです。
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明治29年(1896)に編まれ、各地にもたらされた『日本漁船調査第一報』に採録された「山口県改良鱶縄船」の図です。
山口県において鱶(サメ)を漁獲するために用いられた船で、甲板を張って準水密の構造とし、波が舷側を打ち超えてきても船内に水がたまらない当時としては画期的な改良が施されていました。
上でご紹介した漁船がこれで、船上の青年たちはこの甲板の上に立っているのです。
遠洋出漁と操業が可能な優れた船ということで、全国で導入が図られました。
この船に良く似た漁船雛形が北海道の函館に存在するという情報を、10数年前に得ていたのですが、念願かなって実見できたのは2011年の秋のことでした。
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市立函館博物館です。
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調査のためにお訪ねした時のメモ写真です。
漁船雛形は、屋上収蔵庫からわざわざ広い部屋に搬出されていました。
長年の間に幾度が資料の保管先が変わったことにより、付随する情報が不確かになり、展示ができずに眠っていた資料です。
実見しての第一印象は、「やはり『日本漁船調査第一報』に採録された「山口県改良鱶縄船」図や鶴江船・山口県改良漁船に大変良く似ているなぁ~」というものでした。
「長靴を履いた足を振り上げたような」と表現される水押しの形状、船首から船体前部にかけて広く設けられた甲板や舷側の排水口等は、明治期の山口県改良漁船特徴を良く示していました。
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嬉しく幸いなことに、この漁船雛形には櫓が付属していました。
いかがでしょうか?
一部欠損は見られますが、萩地域をはじめとして山口県日本海側で用いられるナガウデの櫓です。
「櫓から見えてくるもの」コーナーでご紹介しましたが、これで艫(船尾)の右舷側で櫓を操作する造りになっていれば・・・・
ところが残念なことに、櫓杭を設け、舵を落とす舵床と呼ばれる部材は失われていました。
そこで次に確認したのは・・・
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櫓腕と船体とをつなぐ綱があることに気付かれると思います。
これを一般的にハヤオ(早緒)と呼びます。
操作中に櫓脚が水中に深く入り込むことで、櫓腕が上方に上がろうとする動きを抑える役割の綱です。
(スイマセン、経験がないと櫓の動きについてはなかなかイメージできないかもしれませんネ)
艫の右舷側で櫓を操作するとすれば、右舷側にハヤオを結ぶ部材が有るはず・・・と雛形の船尾舷腹を確認すると・・・
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果たして船尾右舷側にその部材があったのです。
舷側の上方に設けられた波を防ぐ部材も、右舷側の方は、船尾部分(櫓を操作する部分)が短くなっています。

ナガウデの櫓を艫の右舷側で操作するのは、まさに萩地域をはじめとした山口県日本海側の漁船の特徴です。

「ヨッシャ!」と、思わず拳を握りしめるような興奮を覚えました。

話には聞いていましたが、写真や図面でしか見ることができなかった鶴江船・山口県改良漁船について、具体的に知ることができる資料に出会えたのです。
ようやく、しかも北海道で。

それでは、この漁船雛形はいつごろ、何処の誰が制作し、どのような経緯で函館にもたらされ、何の目的で現在まで保管されてきたのでせうか?
次なる素朴な疑問が湧いてくると思いますが、それについては次回以降また。

・・・つづく・・・  (清水)
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by hagihaku | 2015-01-03 14:23 | くらしのやかたより
海を拓いた萩の人々、2 ~ 萩地方の櫓(艪)から見えてくるもの ~
2015年1月2日(金)、時折雪が舞いますが、萩は比較的に穏やかな正月二日を迎えています。
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さて、昨日の続きです。
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萩市玉江浦オシクラゴウ(船競漕)の競漕中の写真です。
下の、萩市見島のオシアイ(押合い、和船競漕)の写真と良~~く見比べて下さい。
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アレッ? と思われた方!相当の観察眼をお持ちですヨ。
さらに以下、見島のオシアイに用いられる船と櫓の写真です。
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いかがですか?
同じ萩市の和船競漕ですが、船尾で操作する櫓の位置が玉江は右舷側、見島が左舷側なのです。
そして見島では、ヒラウデの櫓が一丁、ナガウデの櫓とともに用いられています。
玉江浦では、5丁の櫓は全てナガウデの櫓です。
なぜ?どうして??
その素朴な疑問から萩地域や西日本の櫓について調査を始め、成果の一部についてまとめたのが以下の図です。
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ナガウデの櫓の使用状況を示したものです。
白い☐がナガウデ櫓を用いている所で、山口県の日本海側から島根県西部にかけて使用が確認できました。
これらでは、ナガウデ櫓については特に名称が無いとする所が多く、この形状の櫓が一般的に用いられてきたようです。
一方、以下、ヒラウデの櫓の使用状況を示した図です。
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白い〇は現在ヒラウデ櫓を使用している所を示します。
山口県の響灘沿岸や瀬戸内海側に白い丸が分布します。
山口県の日本海側では、未使用か使用してもごく少数という結果が得られました。
そして以下、艫(とも、船尾)の櫓をどちら側の舷で操作するかを示した図です。
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白い△が右舷側、黒い▲が左舷側で操作する所です。
山口県の日本海側と島根県の一部、北九州の一部が右舷側で、瀬戸内海沿岸が左舷側、響灘沿岸は左舷側が一般的で一部が混在という結果を得ることができました。
いかがでしょうか。
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櫓の調査を始めたのは20年以上前のことです。
休みの日を利用して、ポツポツと調査を進めました。
調査で訪れ、歩いて見て聞いた西日本の漁業集落・漁港は150箇所を超えます。

その結果分かってきたことは、萩地域を含む山口県の日本海側においては、ナガウデの櫓が用いられ、それを艫の右舷側で操作することが一般的ということです。
(全国的に見てみると、実は、これは大変に特徴的なことなのです!)

いかがでしょうか、櫓から見えてきたものはありませんか?

実は実は、萩地域の櫓の特徴を把握していたことで、北海道にもたらされ、永く保管されていた漁船の雛形が萩地域のものであると判断できたのです。
その発見談については、次回以降でご紹介します。

・・・つづく・・・  (清水)
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by hagihaku | 2015-01-02 12:49 | くらしのやかたより
海を拓いた萩の人々、1 ~ 特別展開幕! 萩地方の櫓(艪)から見えてくるもの ~
2015年は吹きつのる風の中で明けました。
現在、午前11時の気温は-0.3℃です。
ありがたいことに、萩博物館では朝から多数の来館者をお迎えしています、
そうです、萩博物館は年末年始も休まず、年中無休で開館しています。
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随分とブログの更新を怠っておりました。
申し訳ありません。
昨年12月に何とか特別展「海を拓いた萩の人々」展の開催に漕ぎつけることができました。
毎年度、必ず1本以上の企画・特別展を担当しますが、今回は特に、綱渡りの準備となりました。
以下、少しずつその展示内容をご紹介してまいります。
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今回の展示は、海に恵まれた萩の人々や技術が、広く海を拓き、日本の漁業近代化に多大な貢献を果たしたことを再発見していただきたいと企画しました。
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「海を拓いた萩の船」、「漁業近代化の先駆け」、「海の開拓者」、「恵みの海のゆくえ」といったコーナーを設けて再発見を進めますが、その前に、展示室へと続く回廊において導入の展示を行っています。
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「櫓から見えてくるもの」というコーナーで、萩地域で用いられる特徴的な櫓(船の推進具)をご紹介しています。
実は、20年以上の櫓についての調査成果があったことから、北海道の海の開拓に「萩の船」が深く関わったことが分かってきました。
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萩市玉江浦のオシクラゴウ(和船競漕)です。
萩地域で用いられる特徴的な櫓が用いられています。
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船の推進具である櫓は、櫓腕(握って操作する部材)と櫓脚(水に浸かり揚力を発生させる部材)の二材を継いで製作されています。
その櫓腕の形状に注目すると、萩地域では、もっぱら腕の形状が細長いナガウデ(長腕)の櫓が用いられてきたことが分かってきました。
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櫓腕と櫓脚はあまり角度をつけずに継がれ、その接合部に支点となる櫓杭(ログイ)を受けるイレコ(櫓杭受け)が設けられます。
そしてこの櫓を、艫(とも、船尾)の右舷側で操作します。
この形状の櫓は、山口県の日本海側で用いられています。
一方、山口県響灘沿岸や瀬戸内海側では、以下のような櫓腕の形状が平たいヒラウデ(平腕)の櫓が用いられています。
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櫓腕の形状が楽器の琵琶に似ていることから、ビワロ(琵琶櫓)とも呼ばれています。
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平腕櫓では櫓腕と櫓脚が角度をつけて継がれ、櫓脚にカマボコのような形状の高さのあるイレコが設けられます。
そして、萩地域とは異なり、艫の左舷側で櫓を操作します。
同じ山口県下でも、用いられる櫓の形状に違いが認めら、また操作する舷が異なるのです。

長くなりました。
萩地域で用いられる櫓の特徴については、次回、あらためてご紹介しましょう。    (清水)
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by hagihaku | 2015-01-01 13:27 | くらしのやかたより
萩博物館の国際協力
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萩博物館の学芸員某は、現在、JICA技術協力プロジェクトに派遣されヨルダン国に滞在しています。
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首都アンマンから、毎日、サルトという古都に通っています。
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サルトはヨルダン建国時の首都です。
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サルトには、1000棟近い石造りの伝統建築が伝えられており、アラブの伝統生活が息づいています。
そのサルトにおいて、萩市のまちじゅう博物館の仕組みを紹介し、「まちづくり」のお手伝いをしています。
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ヨルダン国を含めアラブの国々では、今日から4日間、イード(犠牲祭)と呼ばれる祝日となります。
イードが近付くと、国内のいたるところで羊の市場を目にするようになります。
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イードには、それぞれの家庭において羊を求めて屠り、生贄として神に捧げて祝います。
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羊の放牧に遭遇しました。
草を食む羊たちは、良く肥えていました。
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「大きな羊は美しく(羊+大=美)美味い」と、プロジェクトメンバーから聞きました。

学芸員某@ヨルダン
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by hagihaku | 2014-10-04 12:01 | くらしのやかたより
中東ヨルダン国より、その3
5月21日(多分水曜日)、ヨルダン国は今年一番の暑さで、車載の室外温度計は35度を示していました。
ただ、乾燥しているため、木陰や室内では涼しく感じられます。
中東を体感しています。
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その室内での協議や会議に、連続して参加しました。
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頭の中を英語が駆け回っています。
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土地柄半分はアラビア語で、夜になっても頭がしびれています。
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活動拠点の博物館前に、伝統的なパンを焼く店があります。
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色々な種類のパンがありますが、ここのパンは薄く広いものです。
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小餅のような生地をのばし焼きますが、生地から一枚を焼き上げるまで20秒程度です。
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サルト市の郊外です。
丘陵地を走りますが、丘を越えて新しいものに出会うという体験を楽しんでいます。
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丘に広がる麦畑、オリーブ畑です。
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丘の上に集落が展開します。
モスクの手前は小麦の畑です。
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さて、何の畑でしょうか?
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実はこれ、葉タバコです。
年に2回?!収穫するそうです。
日本の丈のある葉タバコとは随分と趣が異なります。
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技術協力プロジェクトについてはなかなか大変な面もありますが、これまで経験したことのないモノ・コトに触れることができるというのは、ありがたく幸いなことです。
糧にしたいと思います。  (学芸員某)
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by hagihaku | 2014-05-22 04:10 | くらしのやかたより