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随想 吉田稔麿(17)
幻想博物館
 十年以上前になるが、雑誌に「松浦松洞(松陰門下生の絵師、文久2年自刃)」についての短い文章を書いたところ、老紳士から連絡をいただいた。かれが戦前、外地に住んでいたさい、近所に松洞の子孫という方がおられ、記事を読み懐かしく思い出したのだという。「その家には、松洞の甲冑がありましてなあ、あれは終戦のどさくさで、どこかに行ってしまったんでしょうねえ」などと話しておられた。以来、「松洞の甲冑」というのが気になっている。萩の魚商の子として生まれた松洞は、おのれの才覚で陪臣という下級武士の身分を手に入れた。憧れの武家社会の末端に身を置いた松洞は、どのような気持ちで甲冑を所持したのだろうか。松洞の思いが偲ばれる。ぜひ拝見してみたいものだが、現物はおろか、写真ですら残っているという話は聞かない。
 このように、ある時までは存在していた「幻」の史料を並べてゆくのが、私の頭の中にある幻想博物館だ。今回はその幻想コレクションの中から、何点か紹介してゆこう。
 目玉のひとつが、「高杉晋作揮毫の旗」である。「奇兵隊の旗」といえば現在、小隊司令旗といった実用的な旗しか残っていない。だが、奇兵隊士金子文輔の日記文久3年7月14日の条に、高杉晋作が阿弥陀寺の陣営において「長門有志先鋒隊」「長門有士奇兵隊」の旗を二旒、揮毫したという記事があるのだ。奇兵隊総督を任ぜられ、闘志に燃える晋作の、勢いあふれる筆跡が素晴らしい。
 今年生誕170年を迎える吉田稔麿関係で言えば、文久3年7月、士雇に昇格したさい、山口で挨拶廻りの時に配った「名札(名刺)」がある。これは同じ日に昇格した、白石正一郎(下関商人)の日記による。他に吉田松陰や高杉晋作の「名刺」も並ぶ。「なるほど、かれらはこうした手書きの名刺を作り配っていたのか、現代とあまり変わらないな」といった入館者の声が聞こえてくる。
 その隣には、九尺ばかりの白木綿に、「天授丸」の三文字を大書した旗がある。「きったねえ字だなあ、子供の字みたいだ」と、入館者は吐き捨てるように言う。たしかに勢いばかりで、お世辞にも上手な字とは言えないが、実は稔麿の筆跡である。文久3年7月、下関の奇兵隊陣営に居候していた稔麿は、ある日数名の隊士を集めて硯で墨をすらせた。そして大きな筆を二、三本束ね、自分でこの文字を書いたのである。それから稔麿は20名ほどの隊士を選び、二艘の船に乗せ、この旗を立てて北九州に渡って行く。外国船を砲撃しない小倉藩に、背後から圧力をかける目的だったらしい。同じころ勅使の使者の訪問を受けた小倉藩は「攘夷を断行します」と、不本意ながら誓約させられる。この旗の効果が、どの程度あったのかは分からない。
 繰り返すようだが、以上はあくまでも「幻」の史料だ。おそらく今後も出現することはないだろう。しかし記録上で残るだけで、まず、実在はしていないと思っていた史料が、実在していた例もある。高杉晋作が文久元年3月、藩主世子小姓役に就任したさい書いた挨拶状(吹聴状)などは、そのひとつだ。いまだに「奇跡」としか思えない、史料との出会いである。詳しい経緯などは拙著『高杉晋作秘話』(平成10年)に、「幻の吹聴状」の題で書いておいたので、興味のある方はご一読いただければ幸いである。(一坂太郎)
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by hagihaku | 2011-06-29 11:52 | 高杉晋作資料室より
感謝!「萩・北浦のクジラ文化」展、無事終了いたしました。
萩博物館企画展「萩・北浦のクジラ文化」展は、6月19日(日)をもって終了いたしました。
たくさんのご来場、誠にありがとうございました。
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ミンククジラの骨格標本の背景としていたイラストです。
比較物が無いと分かりづらいのですが、体長は8メートル!
大変に質感と迫力のあるイラストです。
残念ながら、撤収です。
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ミンククジラの全身骨格標本は、次回の特別展「伝説のクジラキングを追え!」展においても、重要な役割を担うことになっています。
スタッフ総出で移動の後、クリーニングを行います。
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「伝説のクジラキングを追え!」展では、「萩・再発見」展示スペースも利用します。
ということで、少し大掛かりな展示替えとなります。
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「ダイオウイカ」がIN! 「夏みかんが語る萩」展示資料がOUT!
館スタッフでの展示替えですが、年々、要領が良くなってきています。
ガラスの腰の小生は、号令旗振り係、兼て記録係です。
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次回特別展で展示予定の資料の搬入も始まりました。
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20日で資料撤収、21日、22日で展示ケースや移動壁の配置、展示資料の移動、
そして本日、23日の朝方からは展示室の設えが始まっています。

「萩・北浦のクジラ文化」展の開催にあたりまして、多くの皆様にお世話になりました。
お蔭様で、好意的な評価もいただき、無事に会期を終えることができました。
厚く厚く御礼を申し上げます。

自身、様々な発見があり、次へ繋がる企画展となりました。
ありがとうございました。

次回、萩博物館夏季特別展「伝説のクジラキングを追え!」展は、7月2日(土)からです。
今年も、夏季特別展は楽しい展示となりそうです。
どうぞ、ご期待下さい。     (清水)
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by hagihaku | 2011-06-23 09:54 | くらしのやかたより
萩博物館企画展「萩・北浦のクジラ文化」展は明日までです。
お蔭様で好評開催中の萩博物館企画展「萩・北浦のクジラ文化」展は、いよいよ明日、6月19日(日)までとなりました。
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今回の企画展の目玉資料の一つ、ミンククジラの全身骨格標本です。
2008年の秋、北海道釧路沖で捕獲された雄の成体で、体長は7.5メートルを超えます。
寄贈を受け、2ヵ年かけて標本にしました。
ミンククジラ雄としては国内最大級の全身骨格標本です。
背景のミンククジラのイラストは、イラストレーター河合晴義さんに描いていただきました。
体長8メートルの、実に質感のあるイラストです。
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東京海洋大学の加藤先生ご所蔵ミンククジラの模型も展示しています。
ヒゲクジラの仲間では最も小型のミンククジラですが、骨格標本は近くで見るとなかなかの迫力です。
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昔からミンククジラが萩・北浦地域に寄り来ていたことを示す古写真を、以前ご紹介しました。
今回の企画展では、寄り来ていたクジラを通して、萩・北浦地域の歴史文化の特徴を概観してみました。
何か、少しでも、「へ~」とか「ホ~」といった発見がありましたでしょうか?
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全国のクジラに関わりを持つ地域の郷土玩具です。
いずれの地においても、人々はクジラによって生かされてきましたし、特徴のある文化を育んできました。
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ミュージアムショップの企画展関連グッズのコーナーです。
運営をお願いしているNPO法人で、企画展ごとに工夫をこらしたグッズを選び販売されています。
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今回は、オリジナルグッズも幾つか開発されました。
その一つ、クジラ大和煮のレトルトパウチ製品です。
1900年代初め頃に、萩浜崎において「くじら日本煮(大和煮)」が製造されていたことにちなむグッズです。
中の大和煮は、下関の缶詰類製造会社で製造されたものです。
今回の企画展ポスターと、かつて製造されていた「くじら日本煮」缶詰ラベルのシールが貼られています。
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オリジナル絵葉書と、今回の企画展に合せて編集した小冊子『萩・北浦のクジラ文化』です。
絵葉書は、企画展準備の中で見出された1900年初め頃の魚介類缶詰ラベルをもとに作られたものです。
大変に美しいもので、レトルト大和煮ともに、残部僅少となっています。
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「萩・北浦のクジラ文化」展は、明日、6月19日(日)までの開催です。

残すところ、あと2日!
お運びお待ち申しております。  (清水)
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by hagihaku | 2011-06-18 12:49 | くらしのやかたより
クジラに育まれてきた人々 ~ 萩・北浦地域の大きな歳取り行事 ~
萩・北浦地域の人たちが、クジラによって育まれてきたことのご紹介の続きです。
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萩・北浦地域に限らず、山口県の広い範囲で、節分の夜のことをトシノヨ(歳の夜)と呼びます。
そして、その日にはクジラを食べるとする所が多くあります。
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2011年、今年の節分の記録写真です。
市内商店の魚類販売ケースに並べられた刺身用クジラ赤肉とオバイケ(尾羽)です。
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同じく、市内スーパーの特設コーナーです。
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「鬼は外、福は内、節分くじら、各種品揃え」の札が下がっています。
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トシノヨ(歳の夜)が明ければ立春、春の始まりの日となります。
かつて、萩・北浦地域では、トシノヨ・立春を、年の変わり目と意識していました。
そして、「大きく歳を取る」ために、この機会にクジラを食べるとしてきました。
一年の始まりにあたり、生命力あふれる大きなクジラを体に取り込むことで、自身の生命力を更新・強化しようとする民俗と解釈することができます。
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展示している今年2月初めの新聞折込チラシです。
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この時季にクジラを求める人がいるということから、クジラ入荷が広告されます。
トシノヨにクジラを食べるという民俗が、今も息づいています。
昔からクジラが寄り来た地域ならではの民俗です。
萩・北浦地域の人々は、今も、クジラによって生かされ育まれ続けているのです。

萩博物館企画展「萩・北浦のクジラ文化」展、6月19日(日)までの開催です。
お見逃しなく!   (清水)
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by hagihaku | 2011-06-14 08:40 | くらしのやかたより
随想 吉田稔麿(16)
幼なじみの利介
 萩の松本村に住む吉田栄太郎(稔麿)が九歳のころ、嘉永2年(1849)3月、近所に引っ越して来た一家がある。利助とその両親だ。利助は栄太郎と同い年だった。のち初代総理大臣となった「従一位大勲位公爵伊藤博文」である。
 利助は萩の生まれではない。瀬戸内に近い熊毛郡束荷村に住む、林と称する農家の生まれだ。父十蔵は故郷の村ても金銭トラブルを何度か起こした。そのため村に居られなくなり、いろいろあって萩の下級武士伊藤直右衛門に仕えていたのだ。
 同年齢の二人は、すぐに一緒に遊ぶようになった。
 利助は別に病弱ではなかったが、顔が青白かった。だから他の子供たちから「利助の瓢箪、青瓢箪、お酒を飲んで赤うなれ」とからかわれていた(『伊藤博文伝』)。利助は自分よりも腕力が強い、栄太郎に押さえつけられることがあった。青瓢箪とはいえ利助も負けん気が強いから、またやって来る。そしてまた負けて帰って行った。しかし利助が笛を吹いて歩けば、栄太郎は後ろから調子をとってついて行ったという(『松陰先生と吉田稔麿』)。栄太郎は読み終わった書籍を、利助に与えるなど親切だったらしい(『藤公美談』)。あるいは利助の最初の妻(入江九一の妹)を世話したのは、栄太郎の母イクだった。利助はすぐにこの妻を離縁したので、イクは彼女が自殺するのではないかと心配しながら入江に連れて帰ったという話が残る。
 その後も二人の交遊は史料で確認出来るが、文久3年(1863)5月、利助こと「伊藤俊輔」が井上聞多らとイギリス密航留学するさい、栄太郎がどのような反応を示したかが分からないのが残念だ。栄太郎がちゃんと、聞かされていたのかも分からない。「そういやあ、最近俊輔を見かけんのう。行方不明?どこ行っちょるんじゃ」と、首を傾げていたかは知らない。一方俊輔が「あいつは攘夷、攘夷っちゅうてうるさいからのう、エゲレス密航はちょっと黙っちょこう。まぁ栄太もこん前、わしに内緒で出奔しよったけえのう、お互いさまじゃ」と思っていたかも知らない。
 元治元年(1864)6月5日、24歳の栄太郎は京都で死んだ。24歳の伊藤が帰国したのはその月である。伊藤が竹馬の友の死をどこで聞き、何を思ったかはこれも史料が残されていない。しかし、それから四十五年長く生きた伊藤は政治家として日本を独立した近代国家へと見事に脱皮させた。地下の栄太郎も「利助、ようやった」とうなずいていたに違いない。
 子供のころ、利助は栄太郎の家に遊びに来ては、庭にある大きな松の樹に登っていたと伝えられる。ゆえにこの松は後年、「大臣松」と呼ばれた。大臣松は栄太郎旧宅とともに昭和50年代半ばまで残っていたが、いまは切り倒されて跡形も無い。写真で見ると立派な枝振りの松だ。
 というわけで、今年は吉田稔麿同様、伊藤博文も生誕170年という記念すべき年にあたる。以前、私は彦根のひこにゃんに対抗し、萩のゆるキャラを作らねばという激しい使命感に燃えていたことがある。ちょうどその年(平成21年)が伊藤博文没後100年で、私は記念展の主査をやっていた関係から、博文漬けの毎日を送っていた(今年は栄太郎漬け)。そのさい、伊藤の顔写真をじ~っと眺めていたら思い浮かんだゆるキャラがここに紹介する「ヒロボン」だ。
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ぜひに!と提案したところ、満場一致で却下されたのは残念でならない。いまでは廃棄物になりかけている(一坂太郎)
 
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by hagihaku | 2011-06-13 10:57 | 高杉晋作資料室より
クジラによって育まれてきた人々
萩博物館企画展「萩・北浦のクジラ文化」展紹介のつづきです。
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クジラといえば給食! 竜田揚げ、カツ、角煮、南蛮煮、オーロラ煮、カレー!!
随分とお世話になりました。
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鯨肉を初めとして、クジラ製品を扱う商店で用いられた前掛けです。
会社名や商店名が染め抜かれています。
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お蔭様で大きくなりました。
私の場合、小学校2年生の時に脱脂粉乳からシモラクの瓶牛乳に変わりました。
ちなみに、このクジラ竜田揚げは、紙粘土と絵の具を用いたU村事務局長!の労作です。
素晴らしい質感です。
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クジラはこんなに役に立つ!というポスターです。
クジラの様々な部位が用いられ、様々な製品が製造されていました。
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クジラヒゲや骨・軟骨や筋を用いた製品です。
かつて、私たちの身の回りにあり、私たちの暮らしを支えてきた「モノ」の一部を展示しています。
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クジラヒゲを用いた楊枝です。
「ヘ~」 「ホ~」といった(かつてはありふれていたのでしょうが)資料を展示しています。
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軟式庭球(ソフトテニス)のラケットです。
鯨筋ガットが張ってあります。
雨に濡れると耐久性が損なわれたのだとか ・・・ 来場されたグループの皆さんの間で話が盛り上がっていました。

6月12日(日)、山口県地方史学会主催の山口県地方史研究大会が、山口県立図書館のレクチャールームを会場に開催されます。
今回の企画展に関連した発表をするようにと、お声がかかりました。
午後に発表の予定です。
参加自由だそうです。
よろしければお運び下さいますようご案内いたします。

ということで、「萩・北浦のクジラ文化」展のご紹介は続く ・・・
企画展は6月19日(日)までの開催です。   (清水)
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by hagihaku | 2011-06-10 09:27 | くらしのやかたより
随想 吉田稔麿(15)
吉田稔麿の命日
6月5日は池田屋事変で亡くなった吉田稔麿(栄太郎)の命日です。そこで、4日、5日と各1回ギャラリートークを行います。
先日、稔麿にそっくりだったという従弟の子の晩年の写真を見せて頂く機会がありました。それらをもとに描いてみた稔麿の肖像画です。
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(一坂太郎)
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by hagihaku | 2011-06-04 14:05 | 高杉晋作資料室より
萩博物館企画展ギャラリートークのお知らせ
萩博物館企画展「萩・北浦のクジラ文化」展は、お蔭様で好評開催中です。
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クジラによって私たちが育まれてきたことを紹介するコーナーです。
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1950~60年ころの、美しい鯨食普及のポスターです。
日本において、南氷洋(南極海)における船団によるクジラ捕獲が再開されたのは1946年です。
鯨肉は、戦後の貴重な蛋白資源でした。
またクジラのあらゆる部位を利用した製品が生産され、私たちの生活の一部はクジラによって支えられていました。
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このポスターの美しいモデルさん、どなたかお分かりになりますでしょうか?
そうです、八千草薫さんと高千穂ひづるさんです。
それぞれ、1931年と1932年のお生まれですので ・・・・

明日、6月4日(土)の14:00から、ギャラリートークを予定しています。
よろしければお運び下さいますようご案内申し上げます。   (清水)
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by hagihaku | 2011-06-03 10:17 | くらしのやかたより
クジラヒゲ絵馬とクジラ大和煮缶詰のひみつ、その2
長くなりましたので、前編、後編に分けました。
ということで、「クジラ大和煮缶詰のひみつ」についてのご紹介です。
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マッチの箱絵のような美しいデザインの、「くじら日本煮(大和煮)」缶詰ラベルです。
「大日本阿武郡萩港」に在った、「山口県海陸物産食品缶詰製造」を行う「長蘒堂(ちょうしゅうどう)」で製造された缶詰のものです。
萩でクジラの大和煮?萩でクジラを捕っていたの?何時ごろの缶詰ラベル?誰が、どこで造っていたの? ・・・素朴な疑問が湧いてきます。
それらは、明治年間の地方新聞「防長新聞」を確認していくことで、少しずつ分かってきました。
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「防長新聞」には、1904年に、岡の興した会社の缶詰製造の分工場が、萩浜崎に設けられたということが報じられていました。
もともと魚介類の缶詰を製造していた馬庭三四郎氏の工場が、分工場になったようです。
前後には、岡の興した近代捕鯨会社の輸送船が、韓海で捕獲されたクジラ肉を下関に大量にもたらした記事が、度々掲載されています。
どうも、このクジラ肉が萩にもたらされ、「くじら日本煮」に加工されたようなのです。
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防長新聞には、さらに興味深い記事が掲載されていました。
軍が、この分工場を初めとした県内の缶詰製造所に、魚介類缶詰等の納入を求めたというものです。
1904年の2月に始まった日露戦争が激しさを増す中で、缶詰が、糧食として大量に必要とされていたことが見えてきました。
くじら日本煮の缶詰は、そのような状況下、製造が始まったものと考えられます。
缶詰工場が浜崎のどこに在ったのか、何時頃まで操業していたのかといったことは、先般の「浜崎伝建おたから博物館」で、地元の皆さんから情報をいただき明らかにすることができました。
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全国各地のクジラ缶詰ラベルです。
それぞれに、何か発見があるのではないでしょうか。

ということで、萩博物館企画展「萩・北浦のクジラ文化」展の紹介はつづく ・・・ (清水)
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by hagihaku | 2011-06-01 12:09 | くらしのやかたより
クジラヒゲ絵馬とクジラ大和煮缶詰のひみつ
萩博物館企画展「萩・北浦のクジラ文化」展、展示のご紹介の続きです。
前回は、1899年、岡十郎が設立した近代捕鯨会社が、日本で最初に成功した近代捕鯨会社となり、やがて日本最大の捕鯨会社へと発展したことをご紹介しました。
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萩・北浦地域には、萩近代捕鯨草創期の資料が少なからず伝えられています。
その内の、クジラヒゲに捕鯨船を描いた絵馬と、クジラ大和煮缶詰とについてご紹介しましょう。
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クジラヒゲに描かれた捕鯨船(部分)です。
以前、本ブログでご紹介したことがある資料です。
煙を上げて航走する汽船の舳には、捕鯨砲が描かれています。
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同じく、展示しているクジラヒゲの絵馬です。
写真は、借用前に神社拝殿に掲げてあるところを撮影したものです。
奉納年や奉納の目的が不明でしたが、おおよその奉納時期は分かってきました。
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今回、展示の準備の中で、様々な新発見がありました。
煙突に描かれた印をご注目下さい。
先にご紹介した捕鯨船にも、同じ印が描かれています。
実は、絵馬に描かれているのは、近代捕鯨草創期の捕鯨船だったのです。
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長門市仙崎の肥料を扱っていた商家の、1910年頃の資料です。
肥料の鯨骨を送ったことを書きとめた罫紙に、一に三ツ星ならぬ、一に三つ鱗の社章が印刷されていました。
絵馬に描かれた捕鯨船は、長門捕鯨株式会社のそれだったのです。
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勇魚文庫所蔵のこの捕鯨船の写真は、捕鯨研究者の間で所属が不明とされていたものです。
今回これが、煙突の印から、長門捕鯨株式会社の第2神功丸であることが判明しました。
長門捕鯨株式会社は、1907年に仙崎に創設された近代捕鯨会社です。
1916年に岡十郎の起こした会社と合併ましたが、これまであまり資料が明らかにされていませんでした。
近代捕鯨草創期の日本遠洋漁業株式会社(後に東洋捕鯨株式会社)や長門捕鯨株式会社には、萩・北浦地域の多くの人たちが関わっていたことも、少しずつ見えてきました。

申し訳ありません。
長くなってしまいました。
「クジラヒゲ絵馬とクジラ大和煮缶詰のひみつ」は、後編へとつづく ・・・ (清水)
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by hagihaku | 2011-06-01 09:24 | くらしのやかたより