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萩の「煙突を見ない近代化」
3月28日(木)、春の雨の後、萩地域は穏やかな晴天となっています。
春休みに入ったからでしょうか、昨日も、たくさんの来館者をお迎えしました。
気がつけば、三日前、お蔭様で本年度の来館者数が12万人を超えていました。
ありがとうございます。

さて、萩博物館「コマーシャル100年 in 萩」展で萩再発見の20です。
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明治・大正期に、出荷される夏みかんの籠に貼り付けられたラベルです。
「長州本場 萩夏蜜柑」の文字が入っています。
出荷組合で協議し、萩ブランドを強調して売出すために貼り付けたものです。
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夏みかんは、萩においては江戸時代から、家々で絞って酢を得るために植えられていました。
ところが江戸時代の終わり頃に、初夏なると酸味が抜けて甘みが増し、果物として食べられることが分かりました。
そこに注目し、萩では、全国で初めて、果物としての経済栽培に取り組みました。
1876年(明治9年)のことです。
今から100年程前、その生産額が町の年間予算の8倍に上ったことは、本ブログでご紹介しました。
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夏みかんは、もともとあった資源に磨きをかけて、ブランド商品化に成功した先駆け的な例といえます。
萩では、自ら持つ資源を活かし、「煙突を見ない近代化」を推し進めてきました。
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展示資料(情報)の一つ、萩市佐々並地域で、集落ごとにまとめられている「おたからマップ」の一枚です。
集落の人たちが、自ら集落を巡り、どのようなモノ・コトがあるのかを確かめ、大切にしたい自分達にとっての「おたから」を手描き地図にまとめられたものです。
裏面には、「おたから」それぞれについての情報もまとめられています。

見ていてとても楽しく、これを手に佐々並の市集落を訪ねたくなるような、そんなマップです。
そして、大事な大事な萩地域の未来が見えてくるようなマップでもあります。

Please dig the very place where you stand on, then you will find the best spring.
学生の頃、贈られた言葉です。
足元を見つめ、立っているまさにその場を掘り下げることで、私たちは素晴らしい泉を見つけることができる!

ないものねだりではなく、あるものに磨きをかけて活かしてきた萩だからこそ、今一度、市民こぞって、佐々並地域の皆さんのような活動に取り組んでみたらと思うのですが ・・・様々な再発見があり、きっと楽しいと思うのですが ・・・ いかがでしょうか? 

 ・・・ つづく ・・・    (清水)    
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by hagihaku | 2013-03-28 11:27 | くらしのやかたより
「虹を織る」(NHK朝の連続テレビ小説)のふるさと・萩
3月26日(火)、少し肌寒く感じますが穏やかな良い天気に恵まれています。

萩博物館「コマーシャル100年 in 萩」展で萩再発見の19です。
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1970年絵(昭和45)に始まった「ディスカバージャパン」のキャンペーンは、1977年(昭和52)からの「一枚のキップから」キャンペーンを経て、1978年11月からの「いい日旅立ち」キャンペーンへと引き継がれます。
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その中、1980年(昭和55)10月から翌年の4月まで、NHK朝の連続テレビ小説「虹を織る」が放映されました。
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「虹を織る」は、城下町・萩に生まれ育った主人公が、青春期の若い情熱を宝塚の舞台に注ぎ、退団後もたえず新しい生き方を求め続けたことを、ユーモアを交えて明るく描いた物語でした。
これが本格的なデビュー作品となった女優の紺野美沙子さんが、主人公・島崎佳代を演じています。
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主人公は昭和12年(1937)に高等女学校に通っているという設定で、市内各所において収録が行われ、萩は、「虹を織る」のふるさととして全国に紹介されました。
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「コマーシャル100年 in 萩」展は、4月7日までです。
お見逃しなく。

・・・ つづく ・・・     (清水)
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by hagihaku | 2013-03-26 15:37 | くらしのやかたより
ミドリヨシノと萩博物館
3月22日(金)、雲が広がってきた萩地域ですが、明日の予報は曇り時々晴れ、あさっての予報は曇り。
お出かけには良い気候かと思います。
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萩城跡志都岐山神社のミドリヨシノです。
萩市だけで見ることができるサクラで、山口県の天然記念物に指定されています。
花は純白ですが、ガクが緑色であるため、咲きそろうと全体で淡い緑色を帯びた花色に見えます。
今日現在、ほぼ、満開です。
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同じく萩城跡指月公園のソメイヨシノです。
市内のサクラの中では、開花・満開が少し遅れます。
でも、今年はチラホラ咲き始めています。
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なぜ、「ミドリヨシノと萩博物館」かと言いますと ・・・ まあ、何と言いますか ・・・ 要は ・・・ お見逃しなく! ということなのであります。
「コマーシャル100年 in 萩」展は4月7日(日)までです。
(担当者の心持は、この広告チラシに描かれた店主さんのよう ???)
お運びお待ちしております。

さあ、「コマーシャル100年 in 萩展で萩再発見」の18です。
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いずれのポスターも、撮影場所は萩市平安古の鍵曲です。
上のポスターには、「新幹線岡山開業、ひかりは西へ、昭和47年3月15日」の文字が見えます。
下のポスターには、「ひかりライン、東京⇔博多、昭和50年3月10日」の文字が見えます。
新幹線の岡山開業、博多開業という画期の前に制作されたポスターです。
新幹線の博多開業の後、萩市には、年間200万人(現在が約150万人)を超える人が訪れます。
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最多220万余の人が訪れた萩市は、観光ブームに沸き、観光産業も潤いました。
1920年代から始まっていた「まち」の資源を再発見し、磨きをかけ続けるという活動が、一つの成果として現れたものです。
これも、煙突を見ない「まち」の発展といえます。
ただ、このブームに対応するために、逆に資源を損なうようなこともありました。
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1970年代の観光ブームの中で、萩市においては、
1972年(昭和47)に、歴史的景観保存条例を制定し、
市内7ヶ所の歴史的景観保存地区を文化財指定して保護をはかります。
1976年(昭和51)には、萩市伝統的建造物群保存地区保存条例を施行し、
面的に存在する歴史的な建造物を、群として、人びとの営みとともに保護をはかります。
この年、市内の堀内地区と平安古地区の一部が、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されます。

スイマセン、表現が硬いですね~ イケマセン。

多くの萩の人たちが(ブームに踊る人もいましたが)、自分達の「まち」の資源を見直し、魅力に磨きをかけ続けることを怠らなかった、ということを言いたかったわけです。

お付き合いありがとうございます。
もうしばらく ・・・ つづく ・・・  です。       (清水)
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by hagihaku | 2013-03-22 17:14
萩博物館「コマーシャル100年 in 萩」展で萩再発見の17
3月19日(火)、今年度も残すところ10日余となりました。

お蔭様で、萩博物館の今年度の年間入館者数は120,000人を超えることになりそうです。
皆様のご支援に感謝申し上げます。

この数字は、人口5万人余の地方都市の博物館としては、大健闘と言えるのではないかと思います。
ただ、来館された方々や利用された方々の満足度を高めるということや、博物館として実力をつけることに関しては、まだまだ検討・改善の余地ありです。

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萩博物館(当時は萩市郷土博物館)蔵の城下町絵図を用いたキャンペーンポスターです。

萩の「まち」では、現在も、江戸時代の城下町絵図を地図として用いることができます。
それは、江戸時代の城下町が、大きく壊されることなく今に伝えられているということです。
その理由については、以前、企画展「城下町のひみつ」で触れました。

 ※乞うご参照、萩博ブログ
  「城下町のあゆみ」1~5 (2009.12.3 ~ 2009.12.21)
  「城下町のひみつ」1~7 (2009.12.22 ~ 2010.1.23)
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萩の「まち」では、明治維新から半世紀を経た1910年代、大正年間から、歴史上の人物やその旧跡、城下町起源の史跡などが一層注目されるようになりました。
文化財としての指定や保全・活用の活動が活発になり、自ら誇りとすべきもの、他所にない「まち」の魅力が意識されるようになりました

 1916年(大正5)  阿武郡教育会に史跡保存会創設、「維新前後萩地方史跡地図」発行
 1922年(大正11) 松下村塾や吉田松陰旧宅が国指定の史跡に指定
 1923年(大正12) 長門峡が国の名勝に指定
 1924年(大正13) 反射炉が国指定史跡に、また明神池が国の天然記念物に指定
 1926年(大正15) 笠山のタチバナ自生地が国の天然記念物に指定
 1928年(昭和3)  見島の見島ウシ産地、カメ生息地が国の天然記念物に指定
 1929年(昭和4)  藩校明倫館の水練池、有備館が国の史跡に指定
 1932年(昭和7)  木戸孝允旧宅と伊藤博文旧宅が国の史跡に指定
 1936年(昭和11) 旧萩藩御船倉が国の史跡に指定   etc. etc.
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萩市は1932年(昭和7)に市制を施行します。
その過程では、史跡名勝に富むことを活かした遊覧の都市建設=観光立市が検討されます。
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1935年(昭和10)には、萩市土原グラウンド(現在の萩東中学校地)において、萩実業会主催の「萩史蹟産業大博覧会」が開催されます。
この博覧会は、萩の史跡を紹介し、それらを保全活用しつつ萩市経済を活性化させることを目的としたもので、大成功をおさめました。
会場には、日産コンツェルンの日産館をはじめ、産業本館・史蹟観光館・朝鮮館などのパビリオンが設置され、入場者の関心をひきました。
また、博覧会に併せて、新築された明倫小学校で防長勤王資料展示会が開催されるなど、種々の行事で市内は賑わいました。
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1970年代、ディスカバージャパンのキャンペーンが推し進められる中で、萩は、古き良き伝統を伝える「まち」として全国的に注目されます。
そのキャンペーンより遡ること50年前、萩の「まち」の人たちは、自らの誇りを大切に思い、それらに磨きをかける活動を始めていました。

企画展「城下町のひみつ」では、江戸時代の城下町が大きく壊されなかった理由として、明治維新の後、萩三角州の低湿地が開発されたことや、武家屋敷地における夏ミカン栽培が続いたこと、また三角州の外へ鉄道敷設されたこと、震災・火災・戦災などの大きな災害を被らなかったことなどを紹介しました。

もう一つ、大きな要素としてあげられるのが、萩の「まち」に誇りと愛着を持つ多くの人たちの存在なのかと思います。
だからこその、古き良き伝統を伝える「まち」なのです。

・・・ つづく ・・・      (清水)
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by hagihaku | 2013-03-19 13:08 | くらしのやかたより
ツバメが帰ってきました!
3月18日(月)、萩地域は朝方からの雨と風が収まりつつあります。

昨日から南寄りの風が吹きつのり気になっていましたが、
先ほど、「まち」で見上げた空に、ツバメが4羽
帰ってきました!!

一昨年が3月31日、昨年が3月30日と、2年続けて例年より遅い飛来でした。
(私の見た限りでのことですが・・・2010年は3月21日で例年並み)
今冬も寒かったのですが、ここのところ一気に暖かくなり、
外堀沿いの香雪園の桜は、例年よりも随分と早く、昨日既に数輪花を咲かせていいました。

春到来です。

さて、萩博物館企画展「コマーシャル100年 in 萩」展で萩再発見の16です。
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制作年は不明(1970年代初め頃とは思います)ですが、ディスカバージャパンのキャンペーンポスターです。
今回展示しているディスカバージャパン ~ 一枚の切符から ~ いい日旅立ちキャンペーンの萩関連ポスター15点!のうちの2点です。
いずれも萩市内で撮影されたものです。
これらのポスターの主人公は、古い「まち」と、その「まち」を自転車で巡る若い女性であり、
夏みかんの畑に接した城山の見えるお屋敷と、そこに住む人を訪ねる若い女性です。
誰にどのような情報を届けようとして制作したのかが良く分かります。
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ディスカバージャパンのキャンペーンが始まった1970年(昭和45)に創刊された女性情報誌「アンアン」と、翌1971年(昭和46)に創刊された女性情報誌「ノンノ」です。
これらの雑誌では、しばしば豊かな自然や歴史文化を訪ねる旅が特集されました。
そして、「アンアン」や「ノンノ」などの読者層である若い女性たち「アンノン族(アンアンのアン+ノンノのノン)」が、情報に触発されて全国を旅して巡るようになり、それが社会現象ともなりました。
萩は、古い伝統の残る城下町として、そのような若い女性たちに注目されました。
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1971年(昭和46)に発売された小柳ルミ子さんのデビュー曲「わたしの城下町」です。
作詞者は、特定の城下町をイメージしたものではないとされています。
ただ、この曲によって、萩を始めとして全国の城下町が一層注目をされることになりました。
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萩市玉江の観音院の、苔むした瓦を撮影したポスターです。
「古き良き伝統の名残り」とあります。
それが、多くの人たちが抱く萩のイメージだったのかと思います。

それではなぜ、多くの人びとが求める「古き良き伝統」が、ここ萩に残ったのでしょうか。
それについては、次回の「コマーシャル ~ 展で萩再発見17」で触れることにいたしましょう。

・・・ つづく ・・・    (清水)
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by hagihaku | 2013-03-18 17:26 | くらしのやかたより
救急救命講習・消防訓練を行いました
3月15日(金)午前、NPO萩まちじゅう博物館のみなさんと消防本部から職員を講師としてお招きし、前半は救急救命講習、後半は消防訓練を行いました。
萩博物館のエントランスホールにはAEDが設置されています。
おいてあっても使い方を知らなければ宝の持ち腐れとなります。
新しいNPO会員も増えたことから3年ぶりに救命講習を行いました。

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まず最初の驚きは心肺蘇生法で若干手順が変わっていたこと。
講師の救急隊員の方の『胸骨圧迫;強く、早く、絶え間なく』
人工呼吸はためらいがあるようならやらなくてもいい。という発言に、そういった場面に会わないほうがいいですが、「もしも」のときに躊躇しなくてすみそうです。
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救急隊員さんの実演の後
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実際に体験。
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やってみて生じた疑問にも答えていただきました。
後半の消防訓練ですが、消火器の扱いと、煙の中での避難体験という単発のお願いに、「消火器による初期消火を試みるも消せず、煙が充満する室内から退避する」というストーリーでの訓練を構成いただきました。
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消火器の扱い方の説明
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懸命に消火活動するも
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煙の中を退避
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3畳のテントの中は煙で真っ白
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ようやく脱出。予防課長さんのお話を聞きました。
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そして、煙の中での避難の大変さを身を持って知り、館内の消火設備、避難経路について、お客様を避難誘導することを思い描きながら、担当の班毎に見て回りました。
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予防課長さんの講評にありましたが、訓練・体験の記憶はそのうち薄れていきます。
今の思いを忘れないうちに次の回を計画したいと思います。
職員一同、平素から「もしも」のときの対応を考えていきます。(I)
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by hagihaku | 2013-03-16 16:25 | 事務局より
萩博物館「コマーシャル100年 in 萩」展で萩再発見の15
3月15日(金)、海に近い地域では、干したワカメと沈丁花の花の香りが漂っています。
九州で桜開花のニュースが聞こえてきましたが、萩でも春がそこまで来ています。
「まち」歩きをされる方も増えてきました。
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昭和45年(1970)10月から始まったディスカバージャパンのキャンペーンポスターです。

この年、大阪で日本万国博覧会が開催されます。
日本中からたくさんの人が万博を目指して大阪に集まり、入場者は6000万人を超えました。
当時の国鉄では、この万博による人の大移動にそなえて車両や輸送網の整備を行いました。
そして、万博終了後にも引き続き旅客を確保するために、個人旅行客を増やすディスカバージャパンのキャンペーンを推し進めました。

コンセプトは、美しい日本と自分自身とを再発見する旅をすすめるというものでした。

「雨ってよわむし、いつもグループ旅行です」というキャッチが目に飛び込んできます。
団体旅行の雨を見つめるのは、流行の衣服をまとった若い女性です。
一人旅であろうその女性がたたずむのは、古い「まち」の土塀の前です。

ディスカバージャパンのキャンペーンで注目されたのは、豊かな自然や伝統を誇る古い「まち」=美しい日本でした。

実は、このポスターの撮影地は萩です。
萩は、人びとを誘いたい「まち」として、そして人びとが訪れたい「まち」として一躍注目を集めることになりました。

・・・ つづく ・・・     (清水)
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by hagihaku | 2013-03-15 20:14 | くらしのやかたより
萩博物館「コマーシャル100年 in 萩」展で萩再発見の14
3月14日(木)、折角咲いたアンズの花が散ってしまいそうな冷たい風が吹いています。
萩地域には、早い年だと彼岸前にツバメが飛来しますが、さて、今年はどうでしょうか。
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萩博物館企画展「コマーシャル100年 in 萩」展会期は、残すところ3週間余となりました。
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昭和28年前後の新聞折り込み広告を展示したコーナーには、お休み処を設けています。
民俗学者の宮本常一さんが撮影された昭和30年代の萩の写真と、学芸サポート古写真班の皆さんが記録された現況写真とを、手にとってご覧いただけます。
変わったもの、変わらないもの、変わって欲しくないものが見えてきます。
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ホーロー看板や、商店が夏に配っていた店名入りの団扇、様々なデザインの広告マッチです。
展示をご覧いただいた皆さんに、何かを思い出して元気になっていただきたいと考え展示した資料です。
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今回展示したチラシ、団扇、マッチなどの資料化については、学芸サポート班の皆さんに力添えをいただきました。
萩博物館は、市民の皆さんに支えられています。

・・・ つづく ・・・    (清水)
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by hagihaku | 2013-03-14 10:17 | くらしのやかたより
ふすまの中から幕末の彗星出現
幕末の彗星出現‼─世の中が乱れる「悪星」⁈

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 幕末期会津藩の女性を描いたNHK大河ドラマ「八重の桜」が放映中です。1月27日(日)に放映された「妖(よう)霊(れい)星(ぼし)」では、安政5年(1858)に出現した彗星が登場しました。実は、この彗星は「ドナチ彗星」といって、この年の8月下旬から肉眼で見えるようになり、11月はじめまで見えたといいます。
 萩博物館には、この彗星が描かれた古文書(こもんじょ)を所蔵しています。その古文書は萩市内にある旧家のふすまの下張りから出てきたもので、江戸に滞在している萩藩士三戸(みと)茂内(もない)が萩にいる父親の三戸善兵衛にあてた手紙です。手紙には日付はありませんが、安政5年(1858)の夏から秋にかけて出されたものと思われます。彗星の核の部分も、よく観察され描かれています。

 この手紙の彗星に関する部分を今の言葉にしてみました。

 先(せん)達(だ)ての萩藩公用の飛脚便によれば、徳川(とくがわ)斉(なり)昭(あき)(水戸藩)と井伊(いい)直(なお)弼(すけ)(彦根藩)との対立による政変が起こったということです。萩でもそのような世評があるでしょうか。そのために、「悪(あく)星(せい)」(彗星)が出現したのではないかといううわさです。
江戸でも、彗星は「宵(よい)」(夕方)・「明(あけ)」(明け方)ともに見えます。夕方は西北の空に見え、明け方は東北の空に見えます。とにかく図のように見えています。江戸でも色々と不吉なうわさが立っていますが、それも疑わしいことではありません。

 身体が次第にほてるように、彗星は長く明るくなっています。


 安政5年(1858)は、日本の幕末期の歴史が大きく動いた年です。この年4月23日、彦根藩主井伊直弼が大老(たいろう)に就任し、6月19日、日米修好通商条約が結ばれました。開国に反対していた水戸藩主徳川斉昭は、6月24日、予告なしに江戸城に登城して井伊直弼を責めました。
 井伊直弼は7月5日、徳川斉昭を謹慎処分にし、独裁政治をますます強めていきました。9月7日以降、直弼は開国に反対する尊王(そんのう)攘夷派(じょういは)の志士たちをつぎつぎに逮捕して投獄しました。吉田松陰も、12月5日に野山獄に投獄されました。松陰は翌年の安政6年(1859)に江戸へ送られ、処刑されます。
 当時、日本では、彗星を「妖(よう)星(せい)」または「妖霊星」とよび、何か悪いことが起こる不吉な星と信じられていました。三戸茂内も、彗星を「悪星」とよんでいます。手紙には、彗星を見た茂内の驚きと、世の中の動きに対する不安な気持ちが表れています。

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今年2013年も彗星の当たり年!─二つの彗星が登場

 その一つは、「パンスターズ彗星」です。3月下旬には夕方の西の空、4月初旬からは夕方の西の空と明け方の東の空に見えます。そして、次第に暗くなっていきます。
 もう一つは、「アイソン彗星」です。11月上旬から12月下旬にかけて、明け方の東の空で見えるそうです。

彗星が描かれた幕末の手紙を展示中‼

萩博物館の萩学コーナーで、6月23日(日)まで

パンスターズ彗星を見る会を行います☄

と き:4月5日(金)・4月12日(金)午後7時から
場 所:萩博物館天体観望室
参加料:無料
☄彗星が見えるのは、午後7時30分頃までですので、お早めにご来場ください。

                                                          (小惑星「NH」)
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by hagihaku | 2013-03-10 10:39 | 天体観測室より
萩博物館「コマーシャル100年 in 萩」展で萩再発見の13
本日、3月7日(木)の天気予報によると、萩の日中の予想最高気温は21℃まで上がるということでした。

2月があっという間に逃げてしまいました。
「コマーシャル100年 in 萩」展で萩再発見は、ほぼ一月ぶりの更新です。
この間、担当者は、とある国のとある町の「まちづくり・人づくり」の手伝いに行っておりました。
それについては、いずれ、このブログでご紹介します。

さて、新聞折り込みチラシご紹介のつづきです。
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花にさきがけ、花より美しく! 田町通りの呉服店による連合売出しのチラシです。
この当時、田町通りと直交する吉田町の通りを合せると10軒の呉服店があったようです。
着物を着る人が多かったということかと思います。
呉服とは、もともとは絹織物を意味します。
対して綿織物や麻織物は太物と呼ばれました。
それにしても、さすが城下町です。
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田町の通りには、他にもたくさんの商店が軒を並べていました。
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今も続く萩デーの売出し広告にも、多くの商店名が見えます。
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上の萩デーと同じ時季、市内浜崎町の商店連盟の暮れの売出し広告です。
協賛店を含め50店余の加盟店が認められます。
「まちじゅう」で活発な商いが営まれていたことが想像できます。
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角川政治さんが撮影された、1950年(昭和20年代半ば)頃の東田町の写真です。
萩は江戸時代の城下町を起源とする「まち」です。
ご紹介した折り込みチラシが配られた頃も、城下は人や物や情報が集まる所であり、周辺地域は城下の必需物資を供給する所であったようです。
互いが互いを必要とすることで、それぞれが誇りを持って豊かに生きることができたのではないかと思います。

※ 一昨日、わざわざ今回の企画展示をご覧になるために、遠方よりお出でいただいた方があったようです。
  大変ありがとうございます。
  大阪商船のポスターや折り込みチラシがパネルだったのが残念とのことでした。
  申し訳ありません。
  ポスター類は資料の状態があまり良くないためにパネルとしました。
  また折り込みチラシは、小さい資料の文字を拡大して年輩の方々にご覧いただきたいということと、
  できるだけ多くの資料をまとめてご紹介したいということからパネルとしました。
  情報の展示ということで、どうぞご海容下さい。

・・・ つづく ・・・   (清水)
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by hagihaku | 2013-03-07 15:13 | くらしのやかたより