昨日2/4(水)の朝、私は大切な用があって、萩市の北東の須佐に向かいました。
須佐。ここは白黒のストライプが美しい畳岩、毛利氏の家臣・益田家の屋敷、生きたまま出荷される人気の「須佐男命いか」(すさ みこといか)・・・などなど、さまざまな魅力が集結した萩市の「北の要衝」。 私は、須佐港に到着しました。遠くに見えるのは須佐のシンボル、標高532.8mもある壮大な高山(こうやま)です。 須佐在住の澄岡さんが海で「ある生き物」を捕獲されたとのことで、山口県漁協須佐支店の方からご連絡をいただき、この日、私はここに駆けつけたのでした。 港には澄岡さんご本人が(右)。 漁業のかたわら、珍しい生物が見つかるたびに萩博物館に連絡してくださる強力な助っ人です。 さて、この日は何をゲットされたのでしょう? 水色の生簀の中にいた「ある生き物」とは・・・ ウミガメでした!! 前日2/3の夜に須佐沖の山島の近くにしかけていた刺網にかかっていたため、2/4の朝、澄岡さんが救出して港に連れ帰ってきたとのこと。 甲羅の長さ(直甲長)45cmのアオウミガメ。 みなさん、ウミガメというと南国の海とか、それこそ「竜宮城」などをイメージされるかもしれませんが、アオウミガメは世界の暖かい海に広くすむカメ。萩の海にもちょくちょく現われるのです。 一年でもっとも海が荒れ水温が低くなる今の時期に見つかるウミガメは衰弱している場合が多いそうです。 しかしこのアオウミガメは人間でいうと小中学生ぐらいの若さのためか、かなり元気です。 両手(前肢)で水をかきわけ、水面から顔を出して私たちの方をちらりと見たり、 今度は水平にスイスイ泳いだり・・・ また顔を出して、鼻からプハっと水を出しました。 まるで、網から救出してくれた澄岡さんへの御礼に、私たちをあの手この手で「さあ、竜宮城へ連れていってあげるよ!」と誘っているかのようです。 昔はウミガメが網にかかると、お酒を飲ませて放してやっていたそうです。それだけ、ウミガメは人々にとって特別な思いがあり、海から幸福をもたらしてくれるありがたい存在だったのですね。 当館の清水主任学芸員も昔、ある地域で漁師さんがウミガメにお酒を飲ませるシーンを目撃したことがあったそうです(ウミガメはすごく迷惑そうだったそうですが・・・)。 かなり愛想のいいこのアオウミガメ、いろんな仕草で私たちを竜宮城へ誘ってくれたのですが・・・いくら2年前「君と竜宮城へ!」と叫んでいた私でも、2月の極寒の海の底の竜宮城についていくのはちょっとツライ! というわけで、澄岡さんが夕方に漁にでる時もとの海域ちかくに放してやることになりました。 こうしてアオウミガメはひとりで竜宮城へ帰還するまでしばしの間、生簀で待機することに。冬晴れの空の下、別れを惜しむ優しい須佐の人々。 今回のアオウミガメの情報や計測データは、日本各地のウミガメの出現情報の取りまとめをしている日本ウミガメ協議会に報告。協議会の方も、夜の外気で生簀が冷たくならないうちに、もとの海に帰してやるのがいいでしょうとのことでした。 あれから2日が経過。今ごろ、あのアオウミガメは須佐の沖のどこかを、寒さにも負けず、波浪にも負けずグイグイ泳ぎ進んでいることでしょうか。 アオウミガメは70~80年生きるといわれることがありますが、実際には寿命はまだよく分かっていません。 しかし、何年も経ってこのアオウミガメがたくましく大きく成長し、またいつか須佐の海に顔をだしてくれたなら・・・海の中のできごとや環境変化、そして「竜宮城」のことなど、いろいろ尋ねて語りあいたいものですね。 また会える日まで、しばしのお別れです。 (堀)
by hagihaku
| 2009-02-07 07:40
| いきもの研究室より
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