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随想 吉田稔麿(11)
俊さんのこと
 吉田稔麿こと栄太郎の写真や肖像画は1枚も残されていないと以前も書いた。だから、その容姿を知ることは不可能かと思っていた。だが思いがけず、栄太郎の容姿を探る有力なヒントが残されていることを、ご子孫から教えていただいた。
 栄太郎の従弟里村千介の次男は、里村俊文(故人につき敬称略)という。明治になり伊藤博文(俊輔)の書生を5年ほど務めた千介が、伊藤にあやかろうと付けた名だ。
 栄太郎の妹である吉田房子(フサ)や従妹である里村吉子は、俊文の容姿が栄太郎にそっくり、性格もそっくりだと、よく言っていたという。房子はこの少年を「俊さん」と呼んだ。俊さんは周囲から栄太郎にそっくり、そっくりと言われながら育った。
 栄太郎をよく知る血縁者が、これほどの太鼓判を押したのだ。俊さんの写真を見れば、栄太郎の容姿がしのばれるはずである。そこで恐れながら、できるだけ若い時の写真はありませんかと、ご遺族に尋ねてみた。すると大正3年3月、9歳ころ撮影した写真を出して来てくださった。
 なるほど、これが栄太郎かと私は思った。強く結んだ口、切れ長の目は意思の強さを感じさせる。高杉晋作から「眼光人を射る」と称された目だ。典型的長州人の顔だろうが、少々エラが張っている。袴を着け、カメラを睨むようにして堂々と座る姿は10歳そこらの童には見えない貫禄がある。今風のイケメンではない、昔風の日本男児の顔だ。数々の史料から私が想像して来た栄太郎の容姿は、当たらずとも遠からずというところだった。
 ちなみに栄太郎そっくりの俊さんは東京の大正大学を出、難波俊道と称する浄土宗の僧侶となり萩市の報恩寺住職を務めた。平成4年、87歳の天寿をまっとうされたとの事。私の母校の大先輩だったことにも、ちょっと驚かされた。俊さん先輩、一度お会いしてみたかった。それが残念である。
 松陰門下の三傑で言えば、高杉晋作の写真は2枚残り、「乗った人より馬が丸顔」と言われる面長の容姿はよく知られる。久坂玄瑞の写真は無いが、容姿がよく似ていたという遺児秀次郎をモデルに描いた肖像画がある(『久坂玄瑞全集』口絵など)。これまで栄太郎だけが何も無かったわけだが、俊さんの若き日の写真をモデルに描けないだろうか。(一坂太郎)
※里村俊文写真は、高杉晋作資料室の特集展示「吉田稔麿の生涯」第3期(平成23年12月から24年3月末まで)で展示予定です。
by hagihaku | 2011-04-03 11:13 | 高杉晋作資料室より
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