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クジラヒゲ絵馬とクジラ大和煮缶詰のひみつ、その2
長くなりましたので、前編、後編に分けました。
ということで、「クジラ大和煮缶詰のひみつ」についてのご紹介です。
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マッチの箱絵のような美しいデザインの、「くじら日本煮(大和煮)」缶詰ラベルです。
「大日本阿武郡萩港」に在った、「山口県海陸物産食品缶詰製造」を行う「長蘒堂(ちょうしゅうどう)」で製造された缶詰のものです。
萩でクジラの大和煮?萩でクジラを捕っていたの?何時ごろの缶詰ラベル?誰が、どこで造っていたの? ・・・素朴な疑問が湧いてきます。
それらは、明治年間の地方新聞「防長新聞」を確認していくことで、少しずつ分かってきました。
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「防長新聞」には、1904年に、岡の興した会社の缶詰製造の分工場が、萩浜崎に設けられたということが報じられていました。
もともと魚介類の缶詰を製造していた馬庭三四郎氏の工場が、分工場になったようです。
前後には、岡の興した近代捕鯨会社の輸送船が、韓海で捕獲されたクジラ肉を下関に大量にもたらした記事が、度々掲載されています。
どうも、このクジラ肉が萩にもたらされ、「くじら日本煮」に加工されたようなのです。
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防長新聞には、さらに興味深い記事が掲載されていました。
軍が、この分工場を初めとした県内の缶詰製造所に、魚介類缶詰等の納入を求めたというものです。
1904年の2月に始まった日露戦争が激しさを増す中で、缶詰が、糧食として大量に必要とされていたことが見えてきました。
くじら日本煮の缶詰は、そのような状況下、製造が始まったものと考えられます。
缶詰工場が浜崎のどこに在ったのか、何時頃まで操業していたのかといったことは、先般の「浜崎伝建おたから博物館」で、地元の皆さんから情報をいただき明らかにすることができました。
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全国各地のクジラ缶詰ラベルです。
それぞれに、何か発見があるのではないでしょうか。

ということで、萩博物館企画展「萩・北浦のクジラ文化」展の紹介はつづく ・・・ (清水)
by hagihaku | 2011-06-01 12:09 | くらしのやかたより
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