こうして意気込ませて企画展示室に入らせておきながら、なんだこの会場は?!、とお思いになられる方も多いことでしょう。
しかし、しかしです。 展示企画者としては、当館でなぜ古写真展をやるのか、という点にもぜひご注目いただきたいのです。 そこでこの展示ケースにご着目ください。 ケースのガラス面に「日本最古級の写真技法解説書」という見出しが貼ってありますので、すぐにおわかりいただけると思います。 ケースのなかを確認してみると、このように、冊子が開いた状態で展示してあります。 こちらの資料は、それはそれはたいへん貴重なもので、私たち学芸の人間も、取り扱うさいには非常に気をつかいます。 とくに、薄手の半紙を冊子状にしたものであるため、めくるときは恐るおそる、ていねいに扱います。 よって、どうしても実物については、ある一部分しか中身をお見せできないという難点がございます。 そこで今回、ちょっと工夫をして、実物を全部写真に撮り、同じサイズで簡易な複製を作成いたしました。 この冊子が楕円形をしたテーブルの上に置いてあります。 これをぜひ皆様にも、じかにめくって、萩の写真術の開祖のひとり、中嶋治平がどんな勉強をしていたかを確認していただきたいのです(萩の写真術の開祖とされるのは中嶋治平のほか、小野為八、山本伝兵衛の三人です)。 前置きが長くなりましたが、この資料は中嶋治平自筆の草稿で、名称は「ホトガラヒーノ説」といいます。 これがなぜ貴重かというと、治平が万延元年(1860)に長崎へ出かけたさい、オランダ語の書物から写真術に関する部分を抄訳(部分的に翻訳すること)したものだからです。 ここでいう写真術とは、ウエットコロジオンプロセス(湿板写真)という技法を指します。 あの坂本龍馬を撮った上野彦馬が、化学の教科書として有名な『舎密局必携』前編3巻(この附録に「撮形術」という湿板写真技法解説書を含む)を刊行したのは文久2年(1862)のことです。 彦馬はさらにこの年、長崎に写真館を開いたことでも有名です。 したがって、中嶋治平は上野彦馬の写真技法解説書刊行よりも2年早くこの草稿を著していたことになり、日本最古級の写真技法解説書とされているわけです。 なお、以上の説明はあくまでも湿板写真でのことであり、それ以前の写真術であるダゲレオタイプ(銀板写真)については、安政元年(1854)の川本幸民口述『遠西奇器術』が最も古いとされています。 まわりくどい説明になりました。 とにかく藩都萩には比較的早い時期に写真術に関する知識・技法が伝わっていた。 ↓ したがって、萩博物館で古写真をテーマにした展覧会を開く。 という流れを少しでもお伝えできていれば幸いです。
by hagihaku
| 2011-09-21 10:31
| 企画展示室より
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