9月13日、萩市内の方から寄贈を受けた「高杉晋作所用の甲冑」について、9月25日に報道機関への公開のあと、本日9月26日から高杉晋作資料室にて、一般公開が始まりました。
昨日の記者会見では、萩市長挨拶のあと、高杉晋作資料室長である一坂太郎特別学芸員が解説を行いました。 ![]() ![]() ![]() そして、夕刻閉館後に、展示。 ![]() ![]() 下記キャプションが添えられています。 高杉晋作着用の甲冑 萩博物館蔵(大谷和雄氏寄贈) 文久3年(1863)3月、京都で剃髪して「東行」と号したさい、藩重役の周布政之助から贈られた、実戦向きのシンプルな畳具足(重量は全部で約7キログラム)。同年6月、奇兵隊を結成したさい、馬関(下関)の陣中で着用していたことが史料「馬関攘夷従軍筆記」から分かる。奇兵隊といえば近代的な軍隊というイメージが強いが、当初はこのような旧時代のものも使っていたのだ。奇兵隊総督を辞した晋作は政務座の仕事に専念するようになり、同年11月、周布に返却された。いまから150年前の夏、晋作の汗をたっぷり吸い込んだと思われる甲冑である。 甲冑の裏布 萩博物館蔵(大谷和雄氏寄贈) 高杉晋作が周布政之助から贈られた甲冑の裏布部分(もとは胴部分の内側に張られていたが、旧蔵者がはずしたもの)。周布から晋作に贈られ、また周布に返されて、その子昌三郎に譲られた経緯が記されており興味深い。晋作はこの甲冑を着て「関東」で「勤王の戦」を起こして死ぬのだと述べている。幕府との戦いを決意し、「東行」と号していたことがうかがえる。 「西海一狂生東行高杉春風」(晋作筆) 「長州 周布政之助藤原兼翼」(周布筆) 「予断髪将東趣関東、政之助以此甲冑贈予、々即欲着此以討死於 勤王之戦也、東行自題」(晋作筆) 「後東行此還附政之助、政之助譲与其子昌三郎」(周布筆) 奇兵隊結成150年…その「時」を見た貴重な史料です。 ぜひ、ご覧ください。(I)
by hagihaku
| 2013-09-26 11:05
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