3月24日(月)、萩地域は朝方少し冷え込みましたが、日中は穏やかな良い天気となっています。
3月22日(土)昼過ぎ、自宅近くの電線で羽づくろいする3羽のツバメを見ました。 春到来です。 お陰様で連休中は天候に恵まれ、たくさんの方が博物館にご来館下さいました。 企画展「ふるさとの島、ふるさとの山河」も残すところ2週間となりました。 民俗学者の宮本常一さん撮影の萩六島写真に続き、萩市の写真家角川政治さん撮影の写真により、「ふるさとの島」を振り返ります。 角川さんは新聞社のカメラマンを経て、萩市で写真館を経営しながら、地域の日常や人物、町なみなどを丹念に記録されました。 4万5千コマに及ぶネガが萩博物館に寄託されていますが、その中から、萩六島の羽島、相島、大島の写真を特定選択し、組み写真パネルとして展示しています。 羽島は、萩六島の中では最も本土に近い島です。 1971年11月25日、全8戸44名が集団離島されたことで無人島となりました。 葉タバコ耕作が盛んでしたが、若い人が島外で職に就くようになり、後継者難となったことが集団離島の理由とされます。 離島が近い1970年頃の撮影ですが、ヒジキの選別で大忙しの大人たちの傍らにこどもたちがいます。 「・・・ 一日中子供の声が島にみちていることで、親たちは生きる張り合いをおぼえていた。・・・親達はみな子供と共にあることで仕合せであり、未来へ夢を託することができるのである」 宮本常一さんは、著作『私の日本地図 萩付近』の中で述べています。 集団離島に先立つ1965年、大島小中学校羽島分校が廃校になります。 こどもたちは親元を離れて本土の学校寄宿舎へ入寮し、そこから学校へ通うことになりました。 次第に島にこども達の声が響かなくなっていきました。 そのような「ふるさと」が、日本の各地に増えてきています。 どうすれば、そのような「ふるさと」を、引き継いでいくことができるのでしょうか。 ・・・ つづく ・・・ (清水)
by hagihaku
| 2014-03-24 14:48
| くらしのやかたより
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