3月29日(日)、萩では朝方雨がふりましたが、現在は穏やかな晴天となっています。
遠く海を拓いて行った萩の人々をご紹介します。 萩市三見浦から壱岐・対馬への、カジキマグロ漁での出漁についてです。 萩地域では、以前は壱岐・対馬を壱州・対州と呼んでいました。 三見浦からは、明治30年代半ば以降、戦前ころまで、この壱州・対州へ羽魚(ハイオ=カジキマグロ)漁で出漁していました。 網目が1尺もあるような大型の流し刺し網を用いて羽魚を漁獲していました。 多い時には、三見浦から20数隻の船団が出漁していたといいます。 壱岐勝本港を基地として、壱岐と対馬の間の七里ヶ瀬辺りを漁場として操業しました。 獲れた羽魚は、壱岐勝本港や対馬厳原の魚問屋に水揚げしていました。 壱岐勝本港には、泉屋、表谷、唐津屋、大久保支店、対馬厳原港には一色といった魚問屋があったということです。 水揚げの多い船には、問屋から大漁旗や優漁旗が贈られました。 画像は、丸に「い」の組、泉屋に水揚げする三見浦の宝松丸に、泉屋より贈られた優漁旗と考えられます。 念願かなって2012年の6月に壱岐勝本港を訪ねました。 港近くの、とある神社の拝殿に掲げられた絵馬です。 大正15年(1926)年の漁期における大漁に感謝して、地元勝本港の漁船が奉納した絵馬です。 ご注目いただきたいのは、その舳先に掲げられたフライキです。 いかがでしょうか? 冒頭にご紹介した展示大漁旗が描かれています。 三見浦の皆さんが、壱岐対馬近海の漁場開拓に携わったことについて、もう少しご紹介しましょう。 ・・・ つづく ・・・ (清水)
by hagihaku
| 2015-03-29 12:41
| くらしのやかたより
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