「ほーこさん・ほうこ人形」と雛の節句 萩地域においては、月遅れの4月3日に、雛の節句(桃の節句・雛祭り)を祝います。 全国的には、この日に人形を飾り、桃花や菱餅(ひしもち)を供えて白酒をいただくようになったのは、江戸時代初めのこととされます。 一般の家庭で雛祭りが盛んに行われるようになるのは、一部の家を除き、更に時代が下って明治時代以降のこととされます。 一般の家庭で飾られる雛人形は、初めは紙製のものが多く見られました。 後にこれが布製となり、単なる人形(ひとがた、人の形に似せて作ったもの)から公家(くげ)の正装の座姿へと変わります。 そして江戸時代中頃より、現在見られるように、細工の細かい内裏雛(だいりびな)や調度品などが飾られるようになるようです。 人形の姿形は、時代や地域により少しずつ異なります。 また男女雛の位置も明治時代までは現在と逆で、向って右側が男雛(おびな)、左が女雛(めびな)でした。 萩地域においては、「ほーこさん」とか「ほーこ人形」と呼ばれる禿髪(かむろがみ、髪を短く切りそろえて垂らした子供の髪形)の人形がしばしば飾られます。 「這子」の字があてられることが多いこの「ほーこさん・ほーこ人形」は、一般的に、誕生した女児の初節句の祝いに贈られます。 かつては、同じくお祝いに贈られた産着を着せて、雛人形などとともに飾られました。 「ほーこさん・ほーこ人形」や雛人形などの人形は、生児の身代わりとなるもので、生児に災いが及ばないよう願ってこれを贈るとされます。 人形(ひとがた)としての役目を持つもので、大変注目されます。 全国的に見てみると、雛の節句の日には、女児に限らず大人たちも仕事を休み、野山や海川の辺りで終日を過していたとする所が多くあります。 ヒナオクリとかナガシビナといって、人形(ひとがた)などの形代(かたしろ、人の霊を宿すもの)に穢(けが)れを負わせて水に流すとする所も少なくありません。 かつて人々は、一年の節目節目に、日常とは異なる特別な時間を過ごし、身についてしまった災いのもとを捨て去り、生まれ変わって元気に過ごそうとしたと考えられます。 雛の節句には、女児の誕生と成長を祝うだけではない要素もあるようです。 4月3日は、住吉神社境内の粟嶋様(粟嶋神社)の祭り日でもあります。 粟嶋様は、病などの災いから女性を加護して下さる神様とされます。 安産や良縁を祈願してのお参りも多いと聞きます。 (160215寄稿 清水)
by hagihaku
| 2022-09-07 14:11
| くらしのやかたより
|
||||||
ファン申請 |
||