萩のかまぼこ、その2 江戸時代に萩城下に住まいした奥村早太(隼大)という藩士が、明治時代になって描いた萩の風物画が伝わっています。 描かれた人物の身なりなどから、江戸時代の城下の様子を描いたとものと考えられます。 その中に、カマボコを作っていると考えられる人物を描いた部分があります。 細部を見ていくと、一人は魚をさばいているようで、一人は包丁2丁を両手に持って何か(魚の切り身?)を叩いているようです。 また、もう一人は長いレンギ(すりこ木)で擂り鉢(一部の地域では方言でカガチと呼びます)の中の何か(細かくした魚肉?)を擂り合わせて練っているように見えます。 いかがでしょうか。 30年ほど前、Oかまぼこ店のYさんに、かまぼこ作りの工程を教えていただいたことがあります。 それによると、この絵画に描かれているのは、「シゴ」、「叩き」「擂り・練り」の工程になります。 「シゴ」というのは、処理するとか始末するといった意味の山陰地方の方言です。 ここでは、かまぼこを製造するための下処理というような意味合いになります。 魚の頭を取って三枚におろし、魚の身(魚肉)と骨や皮とを分離する作業です。 その身を包丁で細かくする作業がタタキです。 これをさらに細かくするために、現在はミンチ機(機械)が用いられています。 続く「擂り・練り」の工程には、かつては、長く太いレンギと大きな擂り鉢(カガチ)が用いられました。 レンギは方言ですりこ木のことですが、現在伝わっている、かつてかまぼこ作りに用いられたレンギは、長さが2メートルほどあります。 作業場の梁からこれを吊り下げ、体重をかけて練っていたそうです。 摺り鉢をカガチと呼ぶ地域があることは先に触れましたが、語源は良質な焼き物の産地名であるカラツとされています。 かまぼこ製造に用いられた大きな擂り鉢は、残念ながら伝わっていません。 現在、この工程は機械化されています。 萩地域では、昭和30年(1955)ころから、かまぼこ用の擂潰機(らいかいき)が導入されたと聞きます。 ちなみに、大正15年(1926)にこの擂潰機を考案し、現在、練り製品加工機械の製造で業界一位を誇るのは、宇部市の株式会社ヤナギヤです。 創業者柳屋元助の父柳屋米蔵は、浜崎新町中丁の出生とされます。 住吉神社拝殿の前に、両名の名前が刻まれた、昭和六年(1931)二月に奉納された大きな灯篭があります。 (つづく) (180220寄稿 清水満幸)
by hagihaku
| 2022-10-21 18:51
| くらしのやかたより
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