【西国霊場巡り】 萩城下においては、昔から、寺院や神社を訪ねてまわる巡礼が盛んに行われていました。 資料によると、江戸時代前期、一六〇〇年代の終わり頃には、観音様をまつる城下周辺の寺や堂、七ヶ所を巡る巡礼が始まっています。 これを、「七観音詣で」とか「七観音参り」と呼びます。 信仰目的だけではなく、弁当を持って、行楽を兼ねて巡っていたようです。 暮らしに変化を求め、新しい文化を形作っていった町場らしい民俗と言えます。 ![]() ![]() ![]() 全国的には、江戸時代の中ごろになると、近畿地方の観音霊場三十三カ所を巡る巡礼が行われるようになります。 萩城下では、七観音を巡る歴史があったからか、全国的に見ても早い時期に、この三十三ケ所霊場巡りが始まっています。 ![]() 安政7年(1860)の年号が刻まれた萩浜崎住人によって奉納された札 霊場巡りに行った人々は、萩に帰ってから、無事の帰還を感謝して、記念の札を寺院などに奉納しました。 確認されたものの中には、宝暦年間、一七五〇年代に、東田町に住む人たちが奉納したものがあります。 ![]() 宝暦7年(1757)に田町住人によって奉納された札 三十三ケ所霊場を巡るにあたっては、「同行」と呼ぶ共に巡礼する仲間を募りました。 これは講のようなものです。 人々は、交通の発達していない時期に、信仰や見聞を広めることを目的に、長期間、困難を伴なう旅を続けました。 同行の仲間は、苦労を共にすることから、萩に帰ってから後も、強い人間関係で結ばれたそうです ![]() ![]() (120216寄稿)
by hagihaku
| 2024-07-05 11:59
| くらしのやかたより
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