【歳末の大売出し】
今回は、浜崎本町商店連盟の歳末大売出しの新聞折込みチラシをご紹介します。 とあるお宅の蔵が解体された際に、ゴミとして燃される寸前に資料化できた約400枚の折込みチラシの内の一枚です。 昭和30年前後に印刷配布されたものと考えられます。 ![]() チラシの下部には浜崎本町の加盟店35店と、大売出し賛助の16店・業者・医院などの名前を認めることができます。 まさに商店連盟で、その数の多さにあらためて経済拠点であった浜崎町の賑わいを知ることができます。 業種も豊かで、歩いて回ることができる範囲内において、生活に必要な物のほとんどを入手できていたことが分かります。 ![]() ![]() またこの当時から、歳末大売り出しにおいては、買い上げ額に応じて抽選券が配布されていたことも見て取れます。 そして興味深いのは、抽選の商品が「津和野のお稲成さん」太鼓谷稲成参拝であることです。 参拝のための旅行が、この当時において、購買意欲を高める魅力あるものであったということなのかと思います。 実は、神社仏閣を詣でる庶民の旅は江戸時代からありました。 例えば、近畿地方の西国三十三観音霊場を巡る巡礼などは、浜崎においても早くから行われていましたが、その当時の旅は苦難を伴うものでした。 ![]() 女性にとっても旅が身近になったことを示す『主婦之友』(1931年)の付録の「旅行地図」表紙 ![]() 1931年2月現在、奈古駅−須佐駅間は未開通 旅を劇的に身近なものとしたのは、大正期から昭和初期にかけて全国に拡大した鉄道網の整備でした。 鉄道の開業により、全国的に神社仏閣や名所旧跡を巡る観光ブームのようなものが起こり、ここ萩市においても「史跡遊覧のまちづくり」が標榜されました。 ![]() 年末恒例「萩デー」大安売りの特賞は「白米10俵 !!」 鉄道を利用した「初詣で」、「三社参り」などが盛んになり、そのために臨時列車が運行されるようにもなりました。 チラシには「百五十名様ご招待」とあり、結構な人数による参拝旅行が計画されていたことが分かります。 左肩にある「東萩駅八時五十九分発」という情報から、当時の時刻表を確認したところ、この旅行は山陰本線の普通客車列車を利用したものであったことが分かりました。 当時の「客車」の定員からすると、普通客車列車(5両~7両編成)の2両を借り切っての旅であったと考えられます。 行き帰りの列車内は、多数の浜崎の人たちの乗車により、さぞ華やいで賑やかなものであったろうと想像されます。 (231213寄稿)
by hagihaku
| 2024-07-05 18:12
| くらしのやかたより
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