前回の山尾庸三のところで、最近知られるようになった「生きたる器械」という言葉に触れました。そこで今回は特別編として、補足説明のついでに私見を述べさせていただきます。
![]() 現代語訳と解説は一坂特別学芸員によるもので、展示デザイナーの南野さんのアイデアでこういう形に仕上がりました。裏話になりますが、予算と時間の都合で書簡の原本を借りられなかったため、いっそのこと、ミミズの這ったような筆跡と現代語訳を照らし合わせてじっくり読んでいただこうではないか、ということから生み出されたいわば苦肉の策だったのです。私こと道迫含め、〈三人寄れば…〉の典型的な例となりました(笑)。 ![]() ここには、村田蔵六(大村益次郎)を保証人として藩の御用金1万両を無断で担保に入れ、横浜の商人伊豆倉から渡航資金5千両を借用するに至った彼らの、切羽詰まった心情がつづられています。そして最後に、この費用は飲み食いなどに使うわけではない、「生きたる器械」を買ったつもりで許してほしいと述べています。おそらく、自分たちが英国で西洋の知識や技術を身に付けて帰国したあかつきには力一杯働きますので勘弁してください!といいたかったのでしょう。 ![]() つぎに、なぜ井上は「生きた器械」と書いたのでしょうか。ちなみに周布政之助は、同じような意味で「人の器械」という表現を使ったようです(『周布政之助伝』)。どうやらこの当時はまだ、こうとしか適当な言い回しがなかったのだろうと推測されます。 私たち現代人は、山尾や井上勝のような人物を「技術者」とごく普通に言い表します。しかし「技術」という単語自体は、近代以降の造語であって、江戸時代にはありませんでした。「技術」という便利な単語を作ってくれたのは、津和野藩出身の西周(にしあまね)とされています。 西は著書『百学連環』(明治3年ごろの私塾育英社での講述録)で、西洋から日本に入ってきたあらゆる学術用語の翻訳を行いました。しかし翻訳といっても、あてはまる日本語がなければ自分で作らねばなりませんでした。 『日本国語大辞典』の「技術」の項を引くと、「物を取り扱ったり、事を処理したりする方法や手段」という語彙説明のあとに、用例として『百学連環』の一節が紹介してあります。 「Mechanical Art(器械技) and Liberal Art(上品芸)原語に従うときは則ち器械の術、又上品の術と云ふ意なれど、<略>技術、芸術と訳して可なるべし。技は支体を労するの字義なれば、総て身体を動かす大工の如きもの是なり」 ちょっと話が難しくなったかもしれませんが、西周の説明で【「生きた器械」→技術】という図式がよくおわかりいただけたかと思います。このようにたった一つの語句を追及してみるだけでも、いろいろ連鎖的につながっていて興味が尽きません。 つい150年ほど前の人たちの苦労話でしたが、いかがだったでしょうか?とにかく、もし次の機会があったら、萩博では「生きた器械」と訂正して紹介するようにいたします(猛省)。 (道迫)
by hagihaku
| 2006-08-18 19:39
| 企画展示室より
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