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巨大クロアナゴ、発見直後のひとときを
巨大クロアナゴ、発見直後のひとときを_b0076096_9354882.jpg先日この萩博ブログで紹介しました、2/14に阿武町清ヶ浜に漂着した巨大なクロアナゴ
http://hagihaku.exblog.jp/12850079/


その第一発見者の赤羽さんから、現地で発見した直後に撮影したという写真をお送りいただきました。→

赤羽さんのお孫さんと一緒に撮影。
犬もクンクンクン・・・と、興味津々のようすです。
巨大クロアナゴ、発見直後のひとときを_b0076096_9412155.jpgそして、やはり何といっても大事なのがこれ! 
一緒に寝そべって写真撮影!

クロアナゴがいかに大きいか、よく分かりますね。
赤羽さん、貴重な写真をお送りいただき、また、萩博ブログでの掲載のご許可をくださりありがとうございました。


みなさん、巨大生物に出会ったら、こうしてそばに寝てツーショットで記念撮影をするのが「通」ですよ。
大きさの比較になるので臨場感がよく伝わりますし、新聞やテレビなどでの採用率も+++です。


萩博物館のスタッフも、巨大生物に遭遇するだびに、これまで何度も体をハッてツーショット撮影をしてきました。

その証拠を少し・・・ 

・リュウグウノツカイとツーショット(上から2番目): 
  http://hagihaku.exblog.jp/6376576

・ダイオウイカとツーショット(上から6番目): 
  http://hagihaku.exblog.jp/6510422

・再びダイオウイカとツーショット(いちばん下): 
  http://hagihaku.exblog.jp/7080542

・われもわれもとダイオウイカとツーショット(上から3, 4, 6, 7番目): 
  http://hagihaku.exblog.jp/7701182

巨大生物との「添い寝」や「ツーショット撮影」・・・
言い忘れましたが、相手が生きていないか、よく確認してからにしましょう。

さもないと、粘液ギトギトの寝技をかけられて・・・★#$%&*~~っ!!!

(堀)

# by hagihaku | 2010-02-19 09:40 | いきもの研究室より
ぬッ!・・・この魚は!?
ぬッ!・・・この魚は!?_b0076096_9231671.jpgギョロリとした大きな目と、たらこクチビル。
ユニークな顔つきの魚が萩博物館に持ちこまれました!

この魚、顔もなかなかインパクトがありますが、全身を見ていただくとその迫力が倍増します。

左下の全身写真をずぅぅぅ~っと下までスクロールしてみてください。

ぬッ!・・・この魚は!?_b0076096_9282121.jpg
長~いでしょう!
全長なんと1メートル49センチ。人間の身長ほどもあります。

太さは長径14センチと、人間の太ももほどもあります。

一昨日の2/14のこと。
おとなりの阿武町の清ヶ浜にお孫さんと釣りに来られていた赤羽さんが、砂浜にこんな大きな魚が漂着してドテッと横たわっているのを発見! 萩博物館に連絡してくださいました。

すでに死んでいたので、当番出勤していた樋口副館長と道迫研究員が現地に向かい、当館の研究・普及用の資料にと寄贈を受けたのです。

萩の近くの海に、こんな人間の身長ほどもある大きな魚がいるなんて、ちょっとコワイと思われたかもしれませんね。

しかし、この魚、クロアナゴ(黒穴子)という「アナゴ」のなかま。「アナゴ」と聞くと、怖いイメージから一転、香ばしい蒲焼やサクサクとした天ぷら等々・・・おいしそうなイメージが浮かんできたでしょう?

じゃあこの大きなクロアナゴ、蒲焼天ぷらにしたら何人分になるかな!?・・・とウキウキと計算したくなるかもしれませんが、味の面では私たちがふつう「アナゴ」と呼んで食用にする「マアナゴ」の方が勝るとのことです。

クロアナゴは南日本~朝鮮半島の岩や石が散らばる海底にすみ、夜に小魚などを食べて暮らしています。
珍しい魚ではありませんが、今回清ヶ浜に打ち上げられたものはこの種類としては最大級の大きさなので、当館の資料として保存することとなりました。


■標本データ■
クロアナゴ
採集地: 阿武町清ヶ浜
採集日: 2010年2月14日
サイズ: 全長149cm、体高13cm、体幅14cm


そういえば何年も前のことですが、私は房総半島(千葉県)のダイビングポイントで潜ったとき、「ポセイドン」という名のビッグサイズのクロアナゴに海底でばったり出会い、ギョッとしたことがあります。

あの「ポセイドン」君、今ごろどうしているのかなぁ?
・・・ふと懐かしく思い出しました。

(堀)

# by hagihaku | 2010-02-16 09:27 | いきもの研究室より
「本日立春」の続きの続き
今年の立春は、大変に冷たい日となりました。
早朝、節分行事の痕跡?を三角州内に訪ね、その後、旧川上村から旧旭村を回りました。
「本日立春」の続きの続き_b0076096_1625716.jpg

旧旭村佐々並地区から明木地区に向かう、旧道沿いの民家です。
オッ、ダラノキ!
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屋敷のカドグチに、長さ1.5メートル近いダラノキが立てかけてありました。
シキビの枝が添えてありました。
ウンッ ?! ・・・・
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・・・ と、よくよく見ると、イワシが結びつけてありました。
萩地域では初めて見るパターンの、災いよけダラノキです。
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さらに旧道を進み、明木地区のとある集落です。
「本日立春」の続きの続き_b0076096_16353176.jpg

玄関の脇に、シキビの枝を添えたダラノキが立てかけてありました。
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62年前に嫁いで来て、姑さんから教わった通りに今も続けていると、この家のお母さんに伺いました。
40年前に納屋の二階をこども達が使っていたので、今でも二階への上がり口に、都会に住むこども達に災いが及ばないようにダラノキを置くとも話されていました。
親とはありがたいものだと思いました。

少し前までは、屋敷地の出入り口に、皿の上に炭火をのせ、さらにイワシや髪の毛をのせたものも置いていたそうです。
イワシや髪の毛が焦げる臭気で災いを除けるのだそうです。
興味深い節分行事であり地域の文化ですが、今後、これらがどのように伝えられるのでしょうか。
自身、故郷を離れていることもあり、色々と考えてしまいました。    (清水)
# by hagihaku | 2010-02-10 17:19 | くらしのやかたより
「本日立春、春は名のみ」のつづき
昨日、今日と、萩地域は東寄りの風が吹き、春のように暖かく、優しい雨もふりました。
立春が過ぎたことを実感しています。
さて、「本日立春」の続報です。
「本日立春、春は名のみ」のつづき_b0076096_1647656.jpg

旧川上村野戸呂地区のYさんのお宅です。
興味深い節分行事を伝えておられるということで、記録に行ってきました。
「本日立春、春は名のみ」のつづき_b0076096_16483086.jpg

2月に入ってすぐに準備したというダラノキ(タラノキ)にシキビ(シキミ)の葉を挟んだものが、カドグチ(屋敷の出入り口)に立ててありました。
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節分行事は、辺りが暗くなる頃から始まります。
まず、ホウロクと呼ばれる平たい鍋で、大豆とシキビの葉を炒ります。
炒った豆は、枡に入れて神棚に供えます。
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ダラノキにシキビの葉を挟んだものは、神棚の他、床の間や墓にも供えます。
これは、カマドの神様である三宝荒神を祀る棚です。
三宝荒神だけは、供えた正月飾りやダラノキを、一年間そのままにしておくのだそうです。
三宝荒神が、「欲のお深い神様だからと聞いている」と説明されました。
「本日立春、春は名のみ」のつづき_b0076096_1740139.jpg

カドグチに立てたダラノキの傍らには、皿の上に炭火をのせ、さらにその上にイリコ(煮干)と大豆とシキビの葉をのせたものを置きます。
この行為をヤブサシと呼びます。
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家によっては、イワシをのせることもあったそうです。
イリコや豆、シキビの葉が焦げた臭気が漂います。
このヤブサシの後、家の内外で、神棚に供えた豆を撒きます。
「鬼は外!、福は内!、福は内!」と、出来る限り大きな声を発するのだそうです。

節分の夜はトシノヨとも呼ばれます。
Yさんのお宅では、昔からクジラを食べていたそうです。
台所では、お母さんが食事の準備をされていました。

ということで、続く ・・・  (清水)
# by hagihaku | 2010-02-09 17:54 | くらしのやかたより
本日立春、春は名のみ
今日、2月4日は全国的に立春、萩地域は雪の舞う冷たい春の始まりの日となりました。
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本日、朝8時、市内樽屋町の四辻です。
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昨日は節分、萩地域には興味深い節分行事が伝わっています。
その一つ、紙に包まれ、道路の四つ角に置かれた節分の豆です。
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市内浜崎町の四辻です。
ここにも紙に包まれた節分の豆が置かれていました。
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年回りの良くない人や、厄災を祓いたい人は、自分の歳の数ほど豆を紙に包み、節分の日の夜中(萩地域ではこの日の夜をトシノヨ=歳の夜と呼びます)に近所の四つ角まで出向き、それを捨て置いて帰ってくると良いとされます。
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市内玉江地区の四辻です。
紙からこぼれた豆が広がっていました。
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江戸時代の終わり頃にまとめられた『防長風土注進案』三田尻町の項に、四辻に豆を捨て置く民俗についての記述があります。
防長両国で江戸時代から行われていた可能性がある節分行事が、萩地域には今も伝わっています。

そういえば、昨年もこの時季、節分行事についてブログでお知らせしました。
早いものです、一年は。
何か、時間の経過が、年々早くなっていくような気がします。  (清水)
# by hagihaku | 2010-02-04 19:25 | くらしのやかたより